| 「犬伏の別れの地」真田昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)父子 |
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| 「真田父子 犬伏の別れ」の地 慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の合戦を目前に控えた7月21日、徳川家康について会津の上杉家討伐に向かった真田昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)父子は下野国犬伏(現在の佐野市)に到着しました。そこで陣を張っていた父子のもとに石田三成から密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれていました。この賞状を受けて父子3人で話し合い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したとされています。 その話し合いの場がこの薬師堂であったといわれており、すぐそばを流れていた川に架かっていた橋は、真田父子の別れ橋としてこの地に語り継がれています。 平成23年9月 犬伏新町町会 |
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| 左;信幸(信之)、中央;信繁(幸村)、右;真田昌幸(父) |