第3日目

戸塚宿→野辺宿→原宿→鉄砲宿→茅ヶ崎→平塚→大磯 (鴫立沢) (→自宅)
月 日; 2008年6月30日(水曜日) 天気;曇り
区 間; JR戸塚・大踏切(戸塚宿)=大磯宿(鴫立沢交差点)、約26km
時 間; 7時間20分
費 用; 3,320円
<内訳>交通費;自宅=戸塚駅660円、大磯駅=自宅720円、朝食490円(吉野家・朝定食)、
中間食300円(マック)、飲み物260円(ペットボトル2本)、昼食890円(すき家・上ウナ丼)
歩 数; 不明(歩数計不携帯)

08:10 JR戸塚大踏み切り(=歩き始め)
駅前は再開発工事中。通勤客が大勢行き交う。この時間には昨夜からの雨が残り、雨具のポンチョを頭から被り、首に提げたカメラにビニールを被せる。蒸し暑い。
今日は気が重い、足も重い。何かもっともらしい理由が見つかれば、今日の歩きを直ちに中止するのだが・・・・ファイトッ!
手前が東京、写真上が京都方面。
東海道はここで左にカーブする。以前、この一角は小さな商店街が軒を連ねていた。何となく戦後の匂いが残っていた。
08:20 野辺宿跡
 

    歌川廣重;東海道五拾三次之内 戸塚

 健脚が戸塚に到着する頃の夕景が描かれています。「こめや」の看板が目立つ茶屋は、米で作った餅菓子で有名な店でした。軒下には伊勢参りをする一団(講)の名前を記した木札が掛けられています。図の中央に描かれている灯篭脇の石柱には「左り かまくら道」と彫られ、鎌倉へ行く分かれ道を示しています。

東海道戸塚宿本陣跡 澤邊本陣跡
08:45 国道1号線と合流。トラックやバスなど車が多い。
昔、この付近は何度も車で通過したことがある。中央には東海道のシンボル、松のグリーンベルトが残っている。
「お軽勘平の碑」この碑がどうして東海道の戸塚宿にあるのか、よく分からん。 芸能人の間寛平さんを思い浮かべる。 この付近には松並木が残っている
09:05 浅間神社
東海道にはやたら「浅間神社」が在る。
09:10 原宿交差点。今日も3−4km手前からノロノロ運転。
渋滞の名所「原宿交差点」も平成21年度開通を目指して立体工事中。交差点の一角には、まるで御殿のような屋敷が建っている。さぞや騒音と排気ガスがすごいだろうと心配になる。
09:40 マクドナルドの店で休憩、コーヒーとハッシュポテトで300円。
もっと休んでいたいがこれ以上休むと、再び歩けなくなりそうだ。ファイト!
少し先で車専用の国道バイパスと別れ、左側・旧東海道の遊行寺方面へと坂を下る。
10:05 鉄砲宿
10:20 藤沢一里塚
 
    歌川廣重;東海道五拾三次之内 藤澤 

 藤澤は、時宗の総本山である遊行寺の門前町として生まれ、東海道の宿駅となり発展しました。藤澤橋の手前の鳥居は、ここから5キロほど先の江ノ島弁財天の入り口を示しています。

10:25 遊行寺「一遍上人の碑」
遊行寺入口 一遍上人の像 藤沢敵御方供養塔
境内右手にある一遍上人の像。とてもすてきな銅像だった。
10:40 境川
店の若いお兄ちゃんに「旧・東海道はここですか?」と、家の前の道を聞くと「はぁー?」と素っ頓狂な声を出す。
11:00 小田急線高架を通過
11:10 引地川
11:15 メルシャン・藤沢工場。何で、こんな場所にメルシャンなんだと思う。
11:35 ここから再び国道1号線と合流する。
JR辻堂駅への交差点「羽鳥交番前」のすぐ側。
ここから道の両側には松並木が続く
11:40 大山街道入り口
昔はここから大山参りの人々でにぎわったそうだが、車の通行に支障のあるような細い路地ほどの道幅である。
11:45 茅ヶ崎市に入る
この付近から松並木が始まる。 街道一「でかまん」の店
12:07 牡丹餅立場
12:50 茅ヶ崎駅前。「ダイクマ」の大きな看板
13:25 下町屋橋。「こいだ川」(一級河川)
13:37 信隆寺
「山門不幸」の立て札。境内に不幸な出来事があった?
13:45 馬入橋
橋を渡ると平塚市。道志山、そして街道第1の難関である箱根の山々が見える。
日本橋を出てからまだ一度も富士山を見ていない。
14:00 馬入の一里塚(*)
平塚宿史跡案内図
【馬入の一里塚】
「慶長9年(1604)徳川幕府は東海道など五街道を整備し、江戸・日本橋からの距離がわかるようにした。一里塚は街道の一里(約4km)ごとに造られ5間(約9m)四方の塚で、上には遠くからでもわかりやすいように盛り土され榎が植えられた。 旅人にとって一里塚は旅のすすみ具合を知る目印、木陰は休憩場所となった。馬入は江戸日本橋から数えて15番目の一里塚で旧東海道を挟んで南北に一つずつ塚があった。元禄3年(1690年)に出版された「東海道分間延絵図」には、北側の一里塚の前に井戸が馬入の渡しに向かう東側に川会所や川高札が描かれている。」
14:15 平塚駅前
「平塚の七夕」の準備が進められている。
7月7日を中心に開催される平塚の七夕祭り。これ等の飾りは8月の仙台の七夕祭りでも利用されるという。
14:25 平塚宿の江戸見附(*)
平塚宿の江戸見附(*) 見附町1丁目にある「平塚宿史跡絵地図」 平塚宿高札場の蹟
【平塚宿の江戸見附】長さ3・6メートル、幅約1・5メートル、高さ約1・6メートルの石垣を台形状に積み頂部を土盛りし、東海道に対して直角に対をなし、両側の見附は東西に少しずれた形で設置されていた。」・・・・・・・・・・・・・・・・・平塚市/2001-10

    歌川廣重;東海道五拾三次之内 平塚

 唐ヶ原(もろこしがはら)のくねったあぜ道(縄手道)の先に平塚の宿場がありました。「く」の字に曲がった道によって、丸い形をした高麗山(こうらいさん)との距離感を出し、さらに富士山を遠くにのぞかせた盛り沢山の構図には、広重のサービス精神が読み取れます。現在でも平塚駅を西に歩いていくと、正面に高麗山が見られます。

ここで初めて空腹を覚え、昼飯として『すき家』の特製「うな丼」を食べる。この鰻、日本製?たった890円、安い!
14:55 平塚宿本陣旧跡
日射が強い。道路の照り返しがとても暑い。
15:05 平塚宿宿京方見附之跡
平塚本陣旧跡 平塚の塚?
15:15 花水橋
国道1号線を西へ 花水川を渡って直ぐの古い民家
ここからはひたすら歩くだけの灼熱街道。暑い、足が痛い。
15:50 鴫立沢(しぎたちさわ)交差点
鴫立庵 新嶋襄先生終焉の地
ここで急に疲れが襲ってきた、足が重くなる。何だか身体中の水分が抜けてしまったようだ。
幸いにもJR大磯駅が近く、今日の歩きはここまでとする。とても疲れた。
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