第12日目

掛川〜掛川城〜大日本報徳社〜十九首塚〜仲道寺〜原川松並木〜妙日寺〜やるき茶屋〜遠州・鈴ヶ森〜旧見附学校〜遠江国分寺〜浅間神社〜天竜川〜浜松駅前
月 日; 2008年12月8日(月)、天気;晴れ
区 間; 掛川=浜松、 約26km
時 間; 10時間25分
費 円; 費用;合計6,810円
(内訳)昼食 890円(カツ丼とうどんのセット)、飲み物120円、宿泊 5,800円(掛川ルートイン)
歩 数; 54,404歩

07:35

掛川駅前出発。通勤や高校生が大勢動き回っている。

07:50 掛川城(*)
真っ青な空にくっきりとそびえる掛川城。
城には青空がよく似合う。
まだ時間が早くて、城内には入れない。
07:55

大日本報徳社(*)。時間が早く、開館していない為中庭から見学する。

【社団法人 大日本報徳社】
歴史と由来
「報徳は、江戸時代の農政家、思想家の二宮金次郎・尊徳(1787〜1856)の教えです。
尊徳は一生涯に600余の農村の再建を行う中で至誠・勤労・分度・推譲の道徳思想を築きました。これを報徳と言い、その実践組織の中心が大日本報徳社です。」
08:00

この日、 紅葉がとても美しい。

【龍華院大猷院霊屋(りゅうげいん たいゆういん おたまや)】

宝形造 桁行3間 梁間 3間
この霊屋は、明暦2年(1656)掛川藩主北条氏重が幕府に願い出て、徳川3代将軍家光の霊牌を祀るために建てたものである。
当時の建物は、文化15年(1818)3月の火災により失われ、文政5年(1822)当時の藩主太田資始により再建された。現在屋根は瓦葺きであるが、再建寺は柿葺であった。内部には春日厨子があり、霊牌を祀る。
昭和29年(1954)静岡県の文化財に指定された。
霊屋は嗣子のない氏重が断絶の打開策として建立したと言われるが、万治元年(1658)10月氏重の死去に伴い、家は断絶、領地は没収となった。
霊屋が建つ地には、戦国時代の明応6年(1497)から文亀元年(1501)ごろ駿河の守護大名今川氏親が遠江支配の拠点として重臣朝比奈泰X(やすひろ)に命じて築かせた掛川古城の本曲輪があった。
                          ・・・・・・・・・掛川市」

08:15 連尺西交差点(東海道)
08:25 掛川城蕗の間(円満寺)
08:35 十九首塚
十九首塚
東光寺の北にある、平将門以下十九名の首を埋めたと伝えられる塚。五輪の塔が建立された。
小川(東光寺南血洗川)のそばにある。
何となく、気味が悪いので、早々に立ち去ることにする。
08:55 大池橋
09:03 天竜浜名湖鉄道のガードをくぐる。
09:10 宗心寺
09:12 大池一里塚(蓮祐寺)
09:40

仲道寺(善光寺)
「迷惑者山門内入山禁」と書いてある。
どうやら一般の訪問者を歓迎しない、って方針らしい。
おじゃましないよう、境内に入らないで早々に退散する。

09:52

ここで初めて休憩する。

【原川松並木】
原川は、掛川宿まで1里18町(約6km)、袋井宿まで33町(約3/6km)の位置にあり、 戸数は、文化・文政年間に編纂された「掛川誌稿」には46軒という記録がある。原川には、原川薬師と呼ばれていた金西寺阿弥陀仏、その薬師に供える薬師餅を売る茶店、酒屋などが軒を連ね、街道を行き交う旅人で賑わいました。」
10:05 片浜屋鮨
10:15

原野谷川。ここより袋井市に入る。

重要文化財「富士浅間宮」
10:30

妙日寺
日蓮聖人父母顕彰の寺
袋井市立袋井東小学校「どまん中小学校」と書いてある。
町の中、至る所に「どまん中」の文字が書かれている。

【久津部一里塚】
久津部一里塚は江戸からちょうど60里に当たり、明治時代までは老松がたっていました。現在は街道両側の塚とも残っていません。
昭和47年には袋井東小学校創立100年を記念して一里塚碑が立てられました。
   平成12年8月改修
  (平成4年12月1日説明版設置)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・袋井市教育委員会
10:50 常夜燈
【秋葉山常夜燈】
遠州地方では古くから秋葉信仰が盛んで、各村や町には必ず秋葉灯籠が建てられ、常夜燈として絶やすことなく火が焚かれました。この富士見町の秋葉石灯籠は大正4年に建てられたもので、毎年12月に例蔡・秋葉神社祭りがおこなわれいます。
11:15 新屋の秋葉山常夜燈
11:40

やるき茶屋
東海道を歩いていると、坂井さんという方に突然「やるき茶屋」へ案内される。お茶菓子の接待を受ける。
「山と渓谷社」発行のガイドブック「東海道を歩く」に掲載されている写真(P.78)のお二人と一緒に記念写真を撮る。
茶屋に置かれている何冊にもなる「東海道旅日記」に「東海道ウォーカー」として名前と住所を記帳させていただく。

12:10 袋井宿場公園(*)
12:25
【従是袋井宿】
鎌倉・室町・安土桃山時代を通じて、東海道は国内最大の幹線でした。武士や貴族・僧侶の他、多くの人々が往来し、特に戦国大名達にとって、交通路と宿駅の整備は最も重要な課題の一つでした。
徳川家康は江戸に幕府を開く2年も前、慶長6年(1601)に、いわゆる「東海道五十三次」のほとんどの宿駅を設置しています。袋井宿は比較的距離のある掛川宿と見附宿の中間の宿駅として元和2年(1616)に開かれました。
「東海道五十三次」でいえば、品川宿(東京)から数えて27番目、袋井宿はちょうど東海道の真ん中である。
13:00 昼食
13:30 太田川・三ッ野橋(1号線)
13:37 三ッ野
14:05 遠州・鈴ヶ森
「遠州・鈴ヶ森」

東海道から4−5mほどの高台になっている。大きな桜の木が1本、その下に2基の石碑と石臼がある。これで罪人を処刑した磔の土台である。
2m程の壁の向こうには人家があり、どちらかというと、観光客にはここはあまり見て欲しくないな、という雰囲気が感じられる。

14:20 愛宕山、見附天神社
14:25 見附宿
14:30 日本最古の洋風校舎
白い大きな建物
見附学校は明治8年に建てられた現存する日本最古の洋風木造建築小学校校舎であるという。現在は郷土資料館となっている。
時間が無いため外から校舎を見学だけにする。
14:45 日限地蔵尊奉安所
14:50 遠江国分寺跡
15:05

磐田駅前の交差点。ここで右折する。

15:08 少しずつ寒くなってきた。ここからひたすら歩くだけ。
【村社 浅間神社 宮之一色秋葉山常夜燈】
この常夜燈は平成8年部分改修しました。
その棟札から文政11年(1828)に建てられたものとわかった。
竜の彫り物があるので「竜燈」とも呼ばれ数ある灯籠の中でも大変貴重なものです。風よけに灯籠の周りを板で囲み上部は明かりがもれるよう格子になっています。「陸の灯台」として暗闇を照らしていたことでしょう。
毎年自治会の代表が可睡斎にお参りし「秋葉総本殿」のお札をこの灯籠に奉納しています。
地域の安全と火防の守り神として多くの人々から慕われ崇敬されています。
平成15年10月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮之一色自治会
16:05 天竜川右岸
16:18 天竜川左岸
天竜川。涼しいというより、寒くなってきた。
橋を歩いて渡りきるのに13分間かかった。
17:20 琵琶橋
18:00 浜松駅前「ホテル・ルートイン」にチェックイン。寒い。身体が冷え切った。
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