北国街道

【北国脇往還】(北国街道)

 「例幣使」とは、朝廷がつかわした、伊勢神宮の神前に捧げ物をもっていく使者のことである。江戸時代朝廷は、徳川家康の法要のため日光東照宮にも同じように勅使を派遣した。恒例となったこの派遣のため、京から中山道を通り、倉賀野宿より日光に至るまでの道を整備した。復路は日光道から江戸に入り、東海道を使って帰京した。春の東照宮例祭に合わせ、勅使が通る道のことを「日光例幣使道」とよんだ。
なお、例幣使は京を4月1日に出発、15日に日光に到着した。1647年から1867年の221年間、一度も中断することがなかった。

北国脇往還

第1日目
追分宿→小諸宿→田中宿=23.5km

月 日; 2012年11月23日
変なおじさん
区 間; 追分=田中宿(23.5km)
時 間; 5時間50分
費 円; 費用;12,910円
【内訳】JR東京=軽井沢5,950円、立ち食いソバ 400円
軽井沢=しなの追分 230円田中=上田 230円ドリンク 500円
ホテル代 4,650円、 夕食代 950円

歩 数;

38,150歩

06:23

自宅発 京王バス
空はドンヨリと曇っている。
浮き足たつ気持ちが全く湧いてこない 。何らかの理由が見つかれば行きたくない。
昨日のゴルフのせい、左足の膝に多少の痛みが残る。

06:33 つつじヶ丘発 京王電車
06:53 新宿駅着
07:40 東京駅新幹線あさま411号に乗車。満席、幸いにも窓側に席が取れた。
08:46 軽井沢着 小雨
ここで「しなの鉄道」に乗り換える。09:27までは電車がない。
朝食として駅構内で駅ソバ。
「名物蕎麦」って書いてあるが・・・・ウーン、誉め言葉が見つからない。
しなの鉄道・軽井沢=しなの追分に乗る
09:27 軽井沢駅発
しなの鉄道
太陽が顔を出し始めた。バンザイ!
09:35 しなの追分駅
曇り、寒い。
右手に雪を被った浅間山
 
浅間山 追分駅
<冠雪した浅間山> <しなの鉄道・信濃追分駅>
この時間、他に乗降客は無い
10:05 堀辰雄記念館(=中山道)
追分宿本陣跡
ここが中山道と北国街道との追分宿である。
 
堀辰生記念館
【追分宿本陣門(裏門)】 本陣
 追分宿の本陣は歴代土屋市左衛門を世襲した。追分が宿場の機能を持つのは慶長7年(1602年)中山道の伝馬制度を徳川家が整備した以後である。本陣文書に「定路次駄賃之覚」(慶長7年6月10日)の記録があり、本陣が問屋を兼ね宿継、伝馬人足の継立ても生業
とした。本陣の建坪は238坪あり、中山道の宿場中、塩尻宿・塩尻宿・上尾宿に次ぐ大きな宿泊施設を備えていた本陣である。

追分宿高札場】
追分宿の高札場は、問屋前の路中央にあった。法度、掟書きなどを記した。また、さらし首、重罪人の罪状を記し、高く掲げた板札を高札という。
寛永10年(1633)の古文書によると、広さ9尺、横1間、高さ3尺の芝土手を築き、高札場の柱は5寸角のものを使用し、駒よせ柱は4寸角で、高さ6尺の規模であった。
昭和58年、当時の古文書等から、高札場を復元した。
ここに掲示してある高札は、複製品で、現物は追分宿郷土館に保管展示されている。
     軽井沢町教育委員会
     軽井沢町文化財審議委員会

定(さだめ)
 1、毒薬ならびに似せ薬種売買の事禁制す。
   若し違犯の者あらば其罪重かるべし。たとい同類というとも申し出るおいては其罪を許され   急度(=きっと)御褒美下さるべき事。
 1、似せ金銀売買一切に停止す。若し似せ金銀あれば金座銀座へつかわし相改むべし。はづし   の金銀も是又金座銀座へつかわし相改むべき事。

 附(つけたり)
   惣じて似せ物すべからざる事
 1、寛永の新銭金子壱両に四貫文。壱歩には壱貫文たるべし。御料私料共に年貢収納等にも   御定めのごとくたるべき事
 1、新銭の事銭座の他一切鋳出すべからざる事
 1、新作のたしかならざる書物売買すべからざる事
 1、諸職人いい合わせ、作料、手間賃等高直(=とうじき)にすべからず。諸商売物或るいは一   所に買い置き、しめらり(占売り)し、或いはいい合せて高直にすべからざる事。
 1、何事によらず誓約をなし徒党を結ぶべからざる事。

    右条々可相守之。若し於相背は可皮行罪科者也。
    正徳元年五月日
       奉行

農商へ布告
   此度東山道鎮撫総督の勅命を賜り発向の次第はせんだって朝廷より御触もあらせられ候通   に候へ共遠国偏士に至ては自然行き届きかね候やも計り難きに付尚又諸国の情実を問い   万民塗炭の苦を救いなされ度き叡慮に候間各々安堵し渡世致すべく候
   尤も是迄天領と称し来り候徳川支配地は勿論諸藩領分に至る迄、年来苛政に苦しみ能りあ   り其外子細これある輩は遠慮なく本陣へ訴え出ずべし。
   詮議の上公平の処置に及び候間心得違かれなきよう致すべく候事
      戊辰 東山道鎮撫総督
      正月 同 副総督

10:15

分去れの碑(北国街道の出発点)

ここが中山道(=左の国道)と北国街道(=ブルトーザが見える)の分岐点、「追分」である。
寒い。5℃以下。
ここから右の北国街道へと進む。
いよいよ北国街道・出雲崎(217.0km)へ向けて出発!この日の入口付近は工事中だった。
ファイトーッ!

  <ここ信濃国追分宿でうまれた「追分節(馬子唄調・座敷唄調)」は、街道沿いに伝わり「越後追分」や、
海上を伝わり「本庄追分」「江差追分」がうまれ、全国の「追分節」の発祥地、追分宿は運輸の要所として繁栄した>

 
追分 追分
【史跡追分宿の分去れ】
    中山道と北国街道の分岐点である
    「さらしなは右
        みよしのは左にて
     月と花とを 追分の宿」
 とうたわれているように、ここを右すれば北国街道月の名所の更科や越後路に左すれば桜の名所吉野や関西方面に分かれたところである。ここに幾多の旅人がさまざまな感慨をこめて左右に袂を分ったことであろう。
安置された石仏、石碑、石燈籠等に昔がしのばれる。
    軽井沢町教育委員会
    軽井沢町文化財審議委員会
10:23 国道18に合流
気温 3度。寒い。ファイトーッ!
北国街道はほぼ18号線と並行している
10:40 御代田町に入る
標高929m
 
miyotamachi
<国道18号線を進む>
11:00 国道18号線を小諸方面へひたすら歩く。気温4度
特に注目するものは何もない。
11:05 三ツ谷東交差点
11:35 塩野上家
小雨。寒い。
11:50 真楽寺山門
本殿は遠いので鳥居で参拝だけして、ゴメンナサイ!
 
<真楽寺の鳥居>
12:05 小諸市に入る
12:25 藤塚
庚申塚
 
石碑
<庚申塚>
13:05 再び18号線に合流
小諸警察署前
13:25 JR小諸駅
旧い友人がいた。ここは学生時代によく通った。懐かしい。駅前はすっかり変わってしまった。
駅前にあった古い友人の家は全く見つからない。
  (・・・・自然災害にまつわる歴史を持つ小諸だが、城下町でもあり、街は独特の趣を残している。 今、本町あたりにかつての雰囲気が残る。二階建ての漆喰二階と虫籠窓もある。 比較的新しい建物にも、味のあるものが多い。観光客は、懐古園や小諸城に行きがちだが、やや離れた旧北国街道には落ち着きがあって、なかなか味わい深い家並みが連なる・・・・)
13:50

本町交差点。 小雨。
角に蕎麦通には有名な「丁字屋」がある。
食べてみたいが、小雨模様の天気、これから先の路が気になるので急ぐことにする

 
丁字屋
これが蕎麦通には有名な
 JR小諸駅近くにある「丁字屋」だ。食べたい!
14:50 赤岩
小雨が続く。 ファイトーッ!
14:55 東御市滋野片羽区に入る
15:10 牧家一里塚石碑
現物はその面影もない。ただ石碑があるだけ
 
  牧家一里塚
【牧家一里塚】
 江戸幕府は、慶長6年(1600年)東海道・中仙道に続いて北国街道等を造り幕藩体制確立の動脈とした。
 当時この北国街道は中山道と追分宿で分かれ越後、北陸方面へ通じ中部日本の北と南とを結んだ重要な道でありまた、参勤交代の道、佐渡の金の道、善光寺参りの庶民の信仰の道でもあった。
 一里塚は、江戸日本橋を基点とし一里毎に道沿いに盛土をし上に大木を育てた。遠くから見え木陰で休めた一里塚は旅人のはげましとなった。
 牧家一里塚は、江戸より四三番目、即ち四十二里であり1日に6〜7里を歩くと、江戸へは1週間を要した。
 なお、塚の茶店前には、天下無双の力士雷電の碑があって旅情なぐさめたが後に移された。
塚は明治維新の際、民間払下げとなり原形を失った。
一里塚跡碑が建立され交通の変遷を知るとともに、温故知新の意義も大きい。
    2000年3月吉日
        前東部町教育長  長岡克衛 撰文
15:17 力士雷電の碑
 
雷電 古い家
【力士雷電の碑】
昭和42年指定東御市史跡
雷電は、寛政2年(1790)の初土俵から、文化8年(1811)の引退までの成績が、勝ち星254・負け星10・勝負預かり等21であった。
「力士雷電乃碑」は佐久間象山の撰文並びに書による。南前するのは新碑で、西面するのは旧碑である。この碑を書き取って身につけると、立身出世するとか、勝負事に勝とかの迷信が生まれ、打ち欠いて持ち去るものが多く、碑文が読めなくなり、新しい碑が建てられた・
東御市教育委員会
15:50 郷社
懸諏方神社
寒い。いつものように足には豆が出来ている
早く今日の街道歩きを終わりたい。ファイトーッ!
 
県諏方神社
<郷社・懸諏方神社>
16:00 田中宿脇本陣・ 高木屋
 
脇本陣
<高木屋>
16:05 田中駅着
寒い。今日の歩きはここまで。駅前はとてもきれいに清掃されている。
38,150歩
田中駅=上田駅・しなの鉄道 230円
16:38  田中駅発しなの鉄道で上田駅へ向かう
列車内の温かさが実に心地よい。睡魔が襲ってくる。
上田駅前のビジネスホテルに泊まる。
ホテル代 4,650円
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