第3日目
鴻巣宿→熊谷宿→深谷宿

月 日; 2009年9月9日(水)、天気;曇り
区 間; 鴻巣=熊谷=深谷 26km
時 間; 7時間10分
費 円;

合計5,658円
(内訳)バス代(自宅−駅)200円、電車代(つつじヶ丘ー鴻巣)1,010円、ソバ代380円、エネルゲン198円、ドデカミン150円、昼食1,300円、飲み物5本750円、深谷ーつつじヶ丘1,470円、バス代200円

歩 数; 歩数計不携帯の為不明

06:56

つつじヶ丘駅発
電車はものすごい混雑。もちろんサラリーマンと通学客がほとんど。

07:20

新宿駅着
駅構内もすごい混雑。サラリーマン現役の頃は平気だったのが、この年齢になると雑踏を見ただけで疲れる。

08:25 JR鴻巣駅
今回は乗り換えで間違うことは無かった。
駅のトイレで身支度。半ズボンに履き替える。
08:40

鴻巣駅入口交差点
前回の終着点。今回の出発点。

 
shukuba

    8景 英泉
 【岐祖街道;鴻巣之驛「吹上富士遠望」(渓斎英泉画)】
         
天保6- 8年(1835-1837年)
 鴻巣宿(こうのすしゅく)は江戸時代に整備され、栄えていた宿場町である。
中山道六十九次(木曽街道六十九次)の内江戸・日本橋から数えて7番目、すなわち武蔵国のうち第7の宿である(現在では埼玉県の内第6)。
所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡鴻巣宿[3]。現在の埼玉県鴻巣市に当たる。
なお、上方(京側)へ1つ先の熊谷宿との間には、間の宿であり千人同心街道との交差点でもある吹上宿がある。
鴻巣宿は、中山道の他にも、松山(現・東松山市)に至る吉見道、箕田追分を経て忍藩の居城・忍城(在・行田市)に至る忍道、及び、私市(現・加須市)に向かう道との間で宿継ぎが行われ、中山道の宿場町の中では比較的大きなものであった。
鴻巣宿周辺にはいくつかの立場(たてば)が存在したが、中でも鴻巣宿と熊谷宿の間にあり、千人同心街道との交差点に位置していた吹上宿(現・鴻巣市)は上述の忍城へと至る中継地点としての地の利もあり、間の宿として発展した。鴻巣宿周辺には他に久下(現・熊谷市)、箕田(現・鴻巣市)、東間(現・北本市)、本鴻巣(後、本宿と称。現・北本市)に立場が置かれていた。
町並み; 天保14年(1843年)の調べでは、宿内人口2,274人、町並み17町(約1.9km)、宿内家数566軒。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠58軒と記録に留める。

08:50 鴻神社
09:00 踏切
<中山道と高崎線の踏み切り>
09:03

宮田邸
地元の年配の男の人に道を聞く。
  「同じような格好の人が毎日、よくこの道を歩いているが、何処まで行くの?」
  「京都まで、歩いて」
  「エッ!・・・・頑張って」驚いてくれる。ファイトッ!

壮大な宮田邸
<ネギの花>
09:20 箕田観音前
<道祖神>
09:30 郷社 氷川八幡神社
09:43

武蔵水路
たいそう水量が多い水路。

武蔵用水。満々と水をたたえ、かなりな急流
09:50 中山道鴻巣追分
10:00 中山道前砂村
10:05 史跡一里塚
<一里塚跡>
10:40

JR吹上駅
新興住宅の為、旧中山道が影も形も残っていない。

10:47 村社 吹上神社
<村社 吹上神社>
11:15

荒川の土手に出る(右下の写真)
コスモスが美しい。蒸し暑い。

<水量の豊富な用水> <中山道は荒川土手を進む>
12:45 JR熊谷駅前
12:55 熊谷市役所前
12:57 高城神社
<近年になって新しく植えられた「見返りの松」>
13:00

本陣跡
美味い回転寿司を食う。街道ウォーカーとしては贅沢かな?

 
shukuba

    9景 英泉
 岐祖道中 熊谷宿 八丁堤ノ景 
           
 熊谷宿(くまがいしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて8番目の宿場。
現在の埼玉県熊谷市にあたる。昭和20年8月の熊谷空襲により、当時の面影の多くは焼失してしまった。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、熊谷宿の宿内家数は1,715軒、うち本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠42軒で宿内人口は3,263人であった。
熊谷宿の手前、荒川左岸の土手伝いの終着点---佐田八丁村のとっかかりの茶店を描いている。
この立場茶屋は〔みかりや〕。(くまごろう)
行灯看板の文字は「あんころ」「うんとん(うどん)」

 ◎熊谷宿 埼玉県熊谷市
 鴻巣宿から熊谷宿までは約16・4キロ。天保14年の人口は、3263年とされる。ここは鎌倉時代、源頼朝の家来の熊谷次郎直実の領地だったため「熊谷宿」と名を残した宿場町である。この辺りの街道は荒川左岸の土手「熊谷堤」の上を伝い、戸田八丁村で土手を離れて熊谷宿に入っていた。絵の副題の「八丁堤」はここからつけられた名であると思われる。

14:40 JR籠原駅入口
15:25 庁鼻和城跡北西隅外廊七塁
<どうやら城跡の外廊の跡らしい・・・・>
15:50

深谷市役所交差点(深谷駅まで約600m)
今日はここまでとする。体力的にはもう少し歩けるが、これから先は中山道とJRの駅が少々離れている。

16:05

JR深谷駅
今日の区間は旧中山道の面影や遺跡を探すのが難しかった。
今日はずっと曇り、真夏のような暑さは無かったが、ほとんど17号線沿いの車道を歩くため、飲み物は夏と同じように必要とした。

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