| 13:10 |
(4月28日)東京発
友人のNさんの車で中山道へ向かう。
甲州街道から岡谷、塩尻経由前回の最終到着地点「上松宿」へ向かう。 |
| 16:30 |
下諏訪宿
日帰り温泉の「児湯」に入る。夕食950円
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| 19:50 |
上松宿
駅前の古い旅館に泊まる。
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| 4月29日(金・昭和の日)快晴 |
| 08:20 |
JR上松駅
快晴、少し寒く感じる。駅前の駐車場に車を入れる。
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| 08:35 |
今日の歩き始め、ファィトーッ!
上松材木役所跡 |
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【尾張藩直轄上松材木役所跡】
寛文3年から4年にかけて尾張藩は木曽総山の検見を実施し、その大半が伐られ、尽山も多いことに驚き山村代官から山に関する一切の業務を取り上げ、上松の原畑の地に直轄の材木役所を作ったといいます。
この役所は、南北65間・東西55間で3,500坪という広さです。また、周囲を高土手や丸太で囲い、大砲まで備えた堅固な陣屋でした。中には、奉行屋敷・東長屋・中長屋・奥長屋があって奉行・吟味役・調役・目代・元締・同心が常時詰めていました。
また、陣屋内には、水天宮・三島大明神・伊勢神宮・熱田神宮・御岳大権現の五社を祀ってありました。 |
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| 08:40 |
サクラとモクレンが満開
とても美しい。
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【諏訪神社】
この神社は、上松の鎮守の神様として古くからこの地にあり、祭神は建御名方命・事代主命の二神で、祭日は9月6日・7日ですが、昔は7月26日・27日であったといいます。
この付近は縄文時代の早期、約八千年前の遺跡で古くからこの地が最良であったといいます。このお宮は、諏訪から直接来たのではなく京都から勧請したお宮のため、御柱を建てないともいわれています。
この神社の神主は、弘治2年(1556年)頃より代々徳原氏が行い現在に至っています。境内に五社神社・津島神社が祀られています。 |
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| 09:05 |
寝覚めの床 |
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【謡曲と木曽路の寝覚の床】
木曽路随一の景勝地「寝覚の床」は、昔、役(えん)の行者が修業した地で、不老長寿の霊薬が採れたとの伝承から、浦島太郎や見帰りの翁の不老長寿の伝説が生まれた。
謡曲「寝覚」では、長寿の薬を3度飲んで3度若返り千年生きたという見帰りの翁のところに、霊薬を貰いに勅使が遣わされます。見帰りの翁は実は医王仏の仮の姿で、喜んで霊薬を天子に捧げます。
謡曲「飛雲」では、羽黒山の山伏が木曽路を旅して老いに疲れた老人に逢います。夜が更けると老人は鬼神と化し、盤石を砕いて襲いかかり、山伏は必死に経を読み、役(えん)の行者に祈って鬼神を退けます。
謡曲史跡保存会
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【弁才天堂】 上松町文化財指定
尾張藩主四代徳川吉通が、正徳元年(1711年)寝覚の地に立ち寄った折に、母堂の長寿を祈願して弁才天堂を建てるよう上松の役人に命じ、翌正徳2年に完成したお堂です。
現存する上松町の建築物では最も古いもので、大工の棟梁は、名古屋の岩崎治兵衛他4名で当時の木曽では珍しいお堂の造りといわれています。石屋は3名で高遠から来ています。 |
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| 09:30 |
石畳
何としたことか、中山道の旧道に大理石の石が敷き詰められている。
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| <雪を被った南アルプスの山々> |
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| 09:50 |
小野の滝
落差20m程の立派な滝だが、JRの線路直ぐ脇にあるために邪魔者扱いにされ、何だか卑屈になっている。
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| <これが?・・・・あの有名な「小野の滝」> |
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【小野の滝】 名所・木曽八景のひとつ
広重・英泉の合作である中山道69次の浮世絵に描かれている上松は、この小野の滝の絵です。
明治42年鉄道の鉄橋が真上に架けられ、残念ながら往年の面影はなくなりました。
かってここを旅した細川幽斉は「老いの木曽越」のなかで「木曽路の小野の滝は、布引や箕面の滝にも、をさをさおとらじ、これほどの物をこの国の歌枕には、いかにもらしける」と、手放しで誉めています。
また、浅井洌は、この地を訪れて
ふきおろす松の嵐も音たえて
あたりすずしき小野のたきつせ
と、歌を詠んでいます。今も上松の旧蹟にかわりありません。
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| 10:05 |
荻原の一里塚の跡 |
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【荻原一里塚跡】 上松町文化財指定
この一里塚は、上松宿内の一里塚からちょうど1里(約4キロメートル)南へきた荻原集落の北の入口であるこの一里塚には、左・右両方とも榎が植えられていました。南の入口には、高札場があったといわれています。
この一里塚の位置は
京へ64里
江戸より73里です。
残念ながら現存しません。 |
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| 10:10 |
和水(なごみ)
自然水、うまい!本当の水の味を楽しむ。
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| 10:55 |
JR倉本駅 |
| 11:10 |
倉本の一里塚跡 |
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【倉本一里塚跡】
上松で北から4番目の一里塚です。
一つの町村で4つも一里塚のある所はありません。
現在地より南へ、20めーとるほどの地点、左右に一里塚がありました。
今でもこの民家は、屋号を「一里塚」と呼んでいます。
この一里塚の位置は
京へ63里
江戸より74里です。
残念ながら現存しません。 |
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| 11:20 |
池の尻立場 |
| 12:10 |
須原(宿)駅入り口 |
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40景 広重
木曽海道六拾九次之内 須原 |
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| 12:35 |
脇本陣 |
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| <脇本陣・西尾家> |
<カタクリの花> |
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| <須原宿・・・・まるっきり人が見当たらない> |
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| <中山道と木曽川それにJR中央線が平行している> |
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| 12:45 |
定勝寺
すばらしい名刹だ。禅寺。
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【定勝寺】 昭和27年3月29日 国重要文化財指定
当寺は臨済宗妙心寺派に属し、木曽3大寺中の最古刹です。嘉慶年間に木曽家第12代の源親豊公が木曽川辺りに開創し、その後木曽川の洪水による流出の後当地に慶長3年(1598)に移建したものが現在の諸堂宇で本堂、庫裏、山門何れも桃山建築物として国の重要文化財に指定されています。鶴亀蓬莱庭園も美しく、近世禅宗寺院の姿を示しています。
木曽7福神布袋尊霊場であり、定勝だるま大坐像、香取正彦平和余韻第10号の大梵鐘の他、木曽氏歴代による寄進物も数多く木曽の古い姿を知る重要な資料となっています。
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| 13:20 |
岩出観音
桃の花が満開。実に美しい。まるで桃源郷だ!
こんな美しいも風景をうちのかみさんにも見せたいな!
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【岩出観音】 奉仏 馬頭観世音菩薩
別名を伊奈川観音又は橋場観音といい、口伝によると三百余年前須原の一老父が馬の沓を作り商いをしていた。或る日、一人の威厳ある馬上の侍が馬の沓を求めたが折り悪く片足分しかなかったので、その旨を伝え、不足分を早速作り後から追いかけて現在の橋場の入口付近で渡した。侍は喜んで代金を渡そうとしたが老父はその侍の寛容に打たれて代金を辞退したところ傍らにあった木片を取らせ馬上で「馬頭観世音」と書いて渡し「必ずこれを信仰せよ、ご利益があるであろう」と云って立ち去ったという、俗にこれをコツパ観音とも云う。老父はそれを家に持ち帰り神棚に安置したところ光明を放ったので、恐れを抱いて橋場の岩出山の岩間に祀ったところ一層赫々と光明を放ったので、忽近郷近在の評判となり来拝するものが多くなったので、近隣の助力を得て、この木片に観音菩薩と刻み京都まで出掛けて妙心寺の名僧愚道国師の開眼を受けて持ち帰り、一寺を建立して、奉安したところ、信仰する者多く、縁日(1月17日、2月の初午)には遠くから大勢お詣りに来られるようになった様です。
毎年1月17日、初観音縁日、2月の初午縁日は御前10時半より法要を行っております。福ダルマ、お守り、お礼の頒布も行います。
大桑村須原 定勝寺 平成14年1月17日
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| 14:40 |
野尻宿
いたる所に湧き水を貯める用水桶がある。街中がミネラルウォーターであふれている。
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| 14:43 |
常夜燈 |
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| 14:50 |
JRの野尻宿
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41景 渓斎英泉
木曾路驛 野尻 伊奈川橋遠景 |
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【野尻宿】
野尻宿は、現在の大桑村の南側にあって、木曽川左岸段丘上の集落地である。
京方8人石、江戸方関山をもってそれぞれ三留野宿・荒田(現在は新田)となっており上町と、新田の端に「はずれ」という屋号をもつ家がある。
宿の長さは6町3尺。家数は108軒。本陣問屋森徳左衛門。脇本陣庄屋木戸彦左衛門。旅籠の数は19軒であった。本町・横町を鍋底に江戸方の上町と、京方の新田に向かって坂道となり曲がりくねっている。これは「枡形」に代わるものとして注目をひくところである。 |
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| 15:09 |
JR野尻駅発
JR野尻=上松 640円
電車に乗り今日の出発点「上松駅」へ戻る
中央線、2両編成の普通列車
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| 16:00 |
須原駅近くの「道の駅」でトンカツの夕食。ウマーィ!バカうま。
グルメで美食家のうちのかみさんにも食べさせたいなぁ。 |
| 17:00 |
「野尻フォレスパ木曽」(素泊まり)
たっぷりと温泉を楽しむ。露天風呂からは夕焼けの中央アルプス連山の絶景を楽しむことができる。
又も足には大きなマメができた。
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