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【例幣使街道】

 「例幣使」とは、朝廷がつかわした、伊勢神宮の神前に捧げ物をもっていく使者のことである。江戸時代朝廷は、徳川家康の法要のため日光東照宮にも同じように勅使を派遣した。恒例となったこの派遣のため、京から中山道を通り、倉賀野宿より日光に至るまでの道を整備した。復路は日光道から江戸に入り、東海道を使って帰京した。春の東照宮例祭に合わせ、勅使が通る道のことを「日光例幣使道」とよんだ。
なお、例幣使は京を4月1日に出発、15日に日光に到着した。1647年から1867年の221年間、一度も中断することがなかった。

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第1日目
高崎→倉賀野→五料関所→柴宿→境宿=20.3km

月 日;

2011年10月2日(

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区 間; (高崎→)倉賀野=境(→自宅)、20.3km
時 間; 9時間05分
費 円; 合計;10,230円
【内訳】ホテル代(東横イン・高崎) 5250円、豚骨ラーメン 700円、飲み物 4本 600円、夕食 730円、タクシー 710円、 境町=成城学園駅 1,440円、 東武鉄道特急券 800円

歩 数;

45,794歩


07:35 ホテル発
少し寒い
07:41 高崎発JR上野行き
曇り
07:55 倉賀野駅
今日はここから歩き始める、ファイトーッ!
08:07 中町交差点
ここは「中山道」、 ここで左折して、一旦、江戸方面へと向かう
 
kuragano kuragano
    【例幣使街道と倉賀野常夜燈】
 中山道は、倉賀野宿東、下の木戸を出ると日光例幣使街道と別れる。そこには、道しるべ、常夜燈、閻魔堂がある。
 道しるべには左日光道、右江戸道とある。ここから日光例幣使街道始まる。
 日光例幣使街道は13宿中、上州5宿(玉村・五料・芝・木崎・太田)八州8宿となっている。正保4年(1647)に第1回の例幣使の派遣があって以来、慶応3年(1867)の最後の例幣使まで、221年間、1回の中止もなく継続された。また、この常夜灯は、県内では王者の風格をもっており、文化10年(1814)に建てられ、道標の役割も果たしていた。
          高崎市  高崎観光協会
08:15 閻魔道(倉賀野)。ここが中山道と例幣使街道の追分
左の道に入る。
ここから例幣使街道が始まる
08:27 この付近工業団地が展開する。
08:35 17号線を横断
ドンヨリトした曇り空。 気温19度
08:45 白銀橋
この先100m程で左折
08:47 綿貫町交差点
08:50 日本原子力(研)機構
08:53 綿貫交差点で右折
09:00 不動山古墳
なんとか前方後円墳の形を保っている
上州綿貫不動尊
 
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    【不動山古墳
 古墳時代の5世紀後半に作られた前方後円墳です。
全体の墳形が良く残っており、まわりに濠もまわっていたことが分かります。西に前方部、東に後円部があり、北側のくびれ部には、方形の造り出しを作っています。
 後円部は上に後の時代に不動尊をまつっていることから不動山古墳と呼ばれています。
 後円部は作られた当時より大分削平されているようで、舟形石棺の身部が残されています。蓋は不明です。おそらく後円部に遺骸を納めた主体部があったのでしょう。
 不動山古墳は、観音山、普賢寺裏、岩鼻二子山古墳とともに綿貫古墳群の一角を占め、この地域に大きな勢力を持ってた豪族がいたことを示しています。
 昭和37年から39年にかけての調査で埴輪、鉄製鍬先、土師器が出土しています。
             高崎市教育委員会

 
09:10 群馬の森
井野川を通過
ここから左へ1.4kmに観音堂古墳群
 
kosumosu 花
09:25 下斎田町交差点
国道136号線と交差
09:29 滝川
ここから玉村町にはいる。
いたる所から金木犀の香りが漂ってくる。男を悩ませる匂いだ。
09:40 玉村・稲荷神社
09:47 玉村八幡宮
 
玉村 境内文化財
    【慶応元年の石灯籠
 この1対の石灯籠は承応元年(1652)に、上茂木の田口所左衛門廣次の奉納したものです。
 承応元年は由比正雪の慶安事件の一年後で、江戸では旗本奴、町奴の流行の頃です。この灯籠は高さ195センチ中大の格狭間に若葉の浮彫が4面あり、中台下と基礎の蓮弁、反花は12弁がとり巻、玉村町では最も古い灯籠です。
10:10

木島本陣跡 石碑

 
honjin 木島宅の裏に辛うじて記念の石碑(=左の写真)が残っている。
江戸時代から今日に至る、本陣としての苦労とエピソードをお話しいただく。 木島夫人から貴重な話を聞く。

    【木島本陣跡歌碑
                       指定日 平成7年11月
                       所在地 玉村町大字下新田484
 玉村宿は、中山道倉賀野宿から分かれた例幣使道の第1宿でした。木島家は、本陣として朝廷からつかわされる例幣使や公務の役人が宿泊しました。元の建物は、慶応4年(1868)の玉村宿大火で焼失してなく、屋敷内には、天保14年(1843)帰路も中山道を辿った例幣使参議有長の歌碑(建立文久4年(1864)4月17日)があり、当時の名残を物語っています。

    天保14年卯月例の
    みてくらの使いにかさねて
    むかひける帰るさに
    玉むらのやどりにひらくたまくしげ
    ふたたびきそのかへさやすらに
            参議有長

                平成8年12月
                玉村町教育委員会

10:38 下新田交差点
国道40号線通過
10:50 玉村町の石灯籠
11:05 文安銘五輪塔
  町指定重要文化財
    【文安銘五輪塔】
 2基の五輪塔は、室町時代に建立されたものです。夫が文安5年(1448)妻が文安6年(1449)夫婦の墓として仲良く寄り添うように建てられていますが、妻の塔は逆修とあるので妻の生前、亡き夫の塔と一緒に建てたものと思われます。火輪に反りがあり軒端は斜めに切って内に入っていますが、水輪は横に広く地輪は横長で室町も古い感じで玉村町で最も古く県内でも珍しいものです。
                  平成8年12月
                  玉村町教育委員会
11:10 住吉神社
 
sumiyosijinja  境内に「マーガレット」という名前の幼稚園がある。何だかチグハグだ。
 道祖神や庚申碑がボコボコ、散らばって埋まっている。
11:25 例幣使街道へ戻る
 

    【日光例幣使街道の由来】
 
「例幣使」というのは、例年神様に贈り物をもっていく朝廷の使者のことで、本来伊勢神宮のみでしたが、江戸時代に朝廷が、日光の東照宮に徳川家康(東照大権現)の法要のために、たびたび勅使をはけんしていました。これが恒例になったのが「日光例幣使」の始まりです。この日光例幣使が、通るために整備された道であることから「日光例幣使街道」と言われました。伊勢崎市では、南部を横断する国道354号と多くの部分で重なっています。例幣使は正保4年(1647)から慶応3年(1867)の221年間、一度も中断することなく派遣されました。

11:55 日露・日清戦役記念碑
この付近工業地帯、ただ歩き続けるだけ。ファイトーッ!
 
力石

    【力石
 表題として「玉遊」刻されたこの力石は、重さ48貫(180キロ)。
 これを担ぎ上げた力自慢の名を刻し記念として石を神社に奉納したもので、江戸時代後期の弘化4年(1847)武蔵国神奈川(現在の横浜)の徳次郎と同岩槻の長次郎の両名が、当時の世話人達の前で見事にこの石を担ぎ上げたと刻まれている。この事は玉村八幡宮の名が遠く神奈川の地まで聞こえていたことを示し、その信仰圏の広さを物語るものである。

*昔の力自慢が強固なイシで持ちあげたこの力石を、願い事を念じながら撫でれば、(心願成就・成績向上の力添えあり!」とされている。

12:00 飯倉交差点
直ぐ近くにラーメン屋に入る。
 
ra-men

豚骨ラーメン 700円
ゴッテリした濃厚なスープ。うまーい!極楽だぁ!

こんなにウマいラーメンがこの世にあったのか!
アー、グルメで美食家のうちのカミさんに食べさせたいなぁー!このラーメン。

12:30 再スタート。ファイトーッ!
12:40 五料関所
目の前に利根川
 
sekishoato 五料関所
五料の渡しは東西交通の要衝であった。戦国期には・・・・(以下略)
12:45 五料橋
利根川に架かる橋
12:53 橋を渡る。ここから伊勢崎市に入る。
13:00 柴宿
13:05 柴宿本陣跡
  伊勢崎市指定史跡
    【柴宿本陣跡
                昭和41年4月12日指定
 日光例幣使街道は、中山道倉賀野宿から分岐して壬生通りの楡木宿に至るまでの13宿で、柴宿はこの3番目に宿場であり、関根家が代々本陣経営に当たっていました。
本陣は元来、高級武士や公卿の宿泊休憩施設として設置されたものです。構造は近世の武家住宅を基本として、これに、店舗的要素を加えて発達した一種独特の機能を有する建物で、柴宿本陣も概ねこの例にならっています。
 なお、関根家には本陣当時の文書類、調度品が数多く残されており、近世交通史上貴重な資料となっています。
                 平成9年12月15日
                 伊勢崎市教育委員会
13:13 雷電神社
13:25 堀口町交差点
13:30 神宮寺跡
普通の民家の庭に黒曜石の石碑が現れる
13:35 昌雲寺
13:45 韮川
すぐそばに「東京福祉大学」のキャンパスがある。
13:54 除ヶ町交差点
 

(豊武指導標)

13:58 豊式神社
真新しい朱塗りの鳥居。
境内には寺と神社が合祀されている。
神社の前は一面のソバ畑
14:07 宏洞松本翁高徳碑
      【宏洞松本翁頌徳碑
 松本宏洞翁は、文政10年(1827)11月15日の生まれで、名は?(まこと)、字は子均(しきん)、宏洞はその号です。学問の為に江戸に出て、中澤雪城の門に入り書を学び、渡辺崋山系の福田半香について画を究め、漢詩は大橋とつ庵に教えを受けたという多才ぶりでした。
 明治以後は、郷里の文教に尽力するかたわら、数々の名作を遺し、その気品ある書画は現在も珍重されています。頌徳碑は、明治35年(1902)に門人達によって建立されました。碑面は、正2位勲1等伯爵・東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)の篆額、西京・江馬天江の襟撰文、東京・学友太田卓之の書によるものです。翁は明治44年(1911)3月13日逝去し、享年85歳でした。
              平成20年3月
              例幣使道まちづくり会議

14:13 追分の碑
下道寺の道しるべ
14:15 大絹・発祥の地
14:25 三橋牛打ちの松と芭蕉句碑
 
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     【三ツ橋の伝説
 建仁2年(1202)の春、世良田長楽寺を開山した、栄朝禅師が牛に乗って「三つ橋」に通りかかると、橋のほとりで貧しい身なりの夫婦が、二人の幼い子供を抱えて途方に暮れていました。
 禅師は「いかがした」と問うと、夫婦は「はい、子どもが急な病気で熱が高く困っております。御坊様、薬でもありましたらお恵みください」禅師は牛から降りて二人の顔をのぞき「こらはハシカじゃ」と言って、経文を唱えました。すると、みるみる熱が下がりました。
 子供がハシカになったとき、橋の下をくぐると早く治るという俗信は、この三つ橋伝説がもとになっています。
平成17年3月
             例幣使道まちづくり会議
14:30 馬見町交差点
すぐ近くに延命寺
たいそうりっぱな寺
 

    【例幣使御小休所 延命寺】
 延命寺(新義真言宗)は、山号と住吉山、院号を地蔵院といい、伊勢崎・佐波観音霊場めぐり第1番札所になっています。
 日光例幣使のお小休み所とされ、駕篭や荷物を担ぐ助郷人夫や、連絡役の遠見人足が派遣されていました。
 延命寺には、例幣使一行も聞かれたであろう梵鐘がありました。江戸時代馬見塚村寺内(馬見塚三つ橋町)剣持氏の寄進といわれ、美しい音色は近郷にも知れ渡り、村では「疣なしの鐘」と親しまれていました。梵鐘には「乳」と呼ばれる百八の疣がありますが、この鐘には無かったので、そう呼ばれていました。太平洋戦争中に供出され、今は語り種となっています。
                  平成18年3月
                  例幣使道まちづくり会議

15:07 菅原神社
15:15 廣瀬川・武士橋
15:20 境着
15:50 勝山神社
16:45 境消防署
16:50 境萩原
16:55 境町駅入口交差点
 
境入口

急に車の往来が少なくなった。
秋の夕日は足が早い。

 

17:00 境町駅
ここまでで45、794歩。足が痛い。次の電車まで35分も待たなくてはならない。早く風呂に入りたい。
17:50 太田駅着
特急・浅草駅行きの乗り継ぎがあった。
17:50 太田発
19:10 北千住駅
20:15

帰宅。駅からタクシーを利用する。 

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