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【例幣使街道】

 「例幣使」とは、朝廷がつかわした、伊勢神宮の神前に捧げ物をもっていく使者のことである。江戸時代朝廷は、徳川家康の法要のため日光東照宮にも同じように勅使を派遣した。恒例となったこの派遣のため、京から中山道を通り、倉賀野宿より日光に至るまでの道を整備した。復路は日光道から江戸に入り、東海道を使って帰京した。春の東照宮例祭に合わせ、勅使が通る道のことを「日光例幣使道」とよんだ。
なお、例幣使は京を4月1日に出発、15日に日光に到着した。1647年から1867年の221年間、一度も中断することがなかった。

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第4日目

岩舟→富田宿→栃木宿→合戦場宿→金崎宿=22・3km


月 日;

2012年5月25日(金)、小雨

変なおじさん
区 間; 岩舟駅=金崎宿、約22.3km(残り;30.6km)
時 間; 6時間09分
費 円; 合計9,280円
ホテル代6,500円、中間食(マックのチキンナゲット)500円
飲み物800円、交通費(東武金崎駅=自宅)1,480円

歩 数;

36、687歩

07:50 JR岩舟駅
足利駅からJR両毛線で岩舟駅へ下り立つ。
この時間には通学の高校生が大勢乗っている。
駅構内で半ズボンに着替える。
 
岩舟駅 花

JR岩舟駅
最近珍しい木製の駅舎。

08:35 JR岩舟駅入り口交差点・国道67号(例幣使街道)
今日はここからスタート、ファイトーッ!
曇り空、蒸し暑い。
 
街道

国道67号線が「例幣使街道」と閉庫している。 自動車以外、人通りがほとんど無い

車ばかりが行き交う国道を歩くのは辛い

08:55 和泉交差点
ここで直角に左へ、11号線に入る。
 
ダンス教室 花
<こんな所に?周囲は畑と田んぼの街道尾沿いに「ダンス教室」が現れる。 広い駐車場も用意されている> <この付近では沢山の花を見る>
09:30 玉正寺(真言宗)
新しくて、とてつもなく広い寺。11号線沿い。
 
玉正寺
09:45 新大平下駅入り口(右)
 
川 大平台
麦秋の今、収穫と横では田植えが行われている JR大平下駅前には大きな工業団地や
病院が多い
09:50  JR大平下駅(左)
駅前には新しくて、大きな大平病院がデーんと広がっている。
10:15 永野川
曇って蒸し暑い。この付近には見るべきものは何も無い。
10:25 川連バス停
10:30

川連城跡
川連交差点。川連天満宮

 
川連城跡

    大平町史跡 川連城跡

 町内川連の一部と栃木市片柳町にまたがって位置する川蓮城は、応仁年間(1467頃)川連仲利が築城したが、永禄6年(1563)皆川俊宗によって占領され、その後修築されたといわれる復郭の平城で、東西380メートル、南北500メートルという大規模なものである。俊宗は川蓮城を占領すると大平山の中腹にあった星住山円通寺を川連へ移した。そして幾多の戦いに討死した家臣菩提のため川連村の阿弥陀堂で常念物を供養した。その後天正年間(1573〜1591)に皆川氏の政策によって2カ寺は栃木へ移された。現在の栃木市円通寺と定願寺がそれである。
 城の南側には城下繁栄策により村が形成されたが、江戸時代になると例幣使街道が通過し、富田宿と栃木宿をつなぐ中継点となった。
 川連城跡は昭和56年の県道宇都宮=藤岡線バイバス道路工事や土地改良などによって、現在その遺構の大半は消滅した。
    大平町教育委員会
    大平町文化財保護審議会

<大平町史跡 川連城跡>
10:45 片柳4丁目交差点
小雨が降り出した。
  片柳5丁目
マクドナルドに入る。チキンチーズバーガーセット500円。ウマーい!
 
マック ウ、ひゃーっ!ウマーい!
街道歩きにはなんたってマックセットに限るのだ!
グルメで美食家のうちのカミさんも賛成する・・・・はずだ。
11:37 正覚寺
 
正覚寺  
11:45 錦着山入口交差点
12:00  箱森町交差点
雨が少し強くなった。ファイトーッ!
12:10 粟野街道入口交差点(巴波川)
12:20 大町交差点
ここから3号線となる。左折。
12:40

合戦場・合戦場宿

 
合戦場 今では住宅と商業地のこんな所で、昔、ここで戦いがあった・・・・うーん
12:42

小平浪平生誕地

 
小平浪平生家

  小平浪平(日立製作所創始者)身辺

 小平浪平が生まれたこの地、都賀町合戦場は日光例幣使街道の宿場でもあり、江戸時代には日光東照宮に毎年4月、朝廷から幣帛の為の例幣使が京都から派遣されていた。
 門前の生誕碑は、久原房之助翁の筆によるものであり裏面には、高尾直三郎(元日立製作所相談役)筆による碑文が刻まれている。
 小平浪平は東京帝国大学電気工学科卒業後、秋田県の小坂鉱山に入社、その後数社を転職して最後の日立鉱山を辞し明治43年(1910年)日立製作所を創設した。
 日本の工業技術を世界に高めた日立製作所の社是は「以和為貴」であり、これは日立精神の柱として現在も息衝いている。

 郷土の誉れである日立製作所の創設者小平浪平氏の志と偉業を後世に伝えるため広く、この地が生家であることを歴史に刻み残すため作成したものである。

12:50 庚申塔
 
庚申塚 花
13:00

升塚

 
升塚

                    <史跡 升塚>
                     昭和45年3月24日 都賀町教育委員会指定

1、規模及び形状
   ★ 基壇の底面    21・6メートルの方形
   ★ 中壇の底面    16.2メートルの方形
   ★ 上壇の底面    10.8メートルの方形
   ★ 墳頂までの高さ   3・6メートル

2、升塚の由来
  今から483年前、大永3年11月3日、皆川城主宗成とその嫡子成勝は川原田を  中心に陣を張り宇都宮城主忠綱の軍勢1800余を迎え討った。両軍譲らず大混  戦となり、その雌雄決せず、翌日、小山、結城、壬生の援軍を得て、宇都宮勢を敗  走させた。
  この戦いで皆川勢は宗成以下37人、小山勢13人、壬生勢10人、宇都宮勢は2  50人の死者を出し、里人はこの戦死者を一箇所に集め葬ったと伝えられている。
  詳細については塚上の碑文、皆川正中録(教育委員会保存)を参照されたい。
             平成18年1月1日 作製
                       都賀町教育委員会

13:30 家中交差点
14:00 上新田交差点
雨は止みそうに無い。こんな気候の中での街道歩きは切ない。ファイトーッ!
 

 

花 花
花 花
14:03 十九夜石碑
珍しく石仏が集められている。
この付近は田植えが始まっている。
 
19夜石碑  
14:15 神社
鳥居が置いてあるから神社に違いないがさっぱり威厳とか神聖さがない。
実にいい加減な神社だ。当人は「しかたない!」とあきらめている風である。
車がひっきりなしに往来する国道に面して、うるさくて安眠できない!って神様は田舎に避難している、かな?
 
田植え 石碑
14:44 金崎駅前交差点
小雨は止まず、今日の前進をあきらめる。
14:47 東武金崎駅
次の上りは1時間以上も待たなければならない。
 
古い民家  
15:54 東武金崎駅発
17:35 東京着
疲れた。それに新しく出来た足の血豆が痛い。
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