第9日目

静岡→駿府城→安部川→丸子丁子屋→二軒屋交差点→宇津の谷(明治のトンネル)→岡部→藤枝(ホテル)
月 日; 2008年10月6日(月)、天気;曇り
区 間; 静岡=藤枝、 約21km
時 間; 7時間30分
費 円; 合計10,810円
(内訳)交通費 自宅=小田原駅1、370円、小田原駅=静岡駅1、620円、昼食1、080円(おこわ飯とうどんの小セット)、安倍川餅2個200円、飲み物240円(2回、@120円)、ホテル代6、300円(朝食付)
歩 数; 不明(歩数計不携帯)

06:45 自宅を出発。
今朝も雨が降っているが、午後から曇り、明日は晴れの予報で出発する。
08:28 小田原駅着
09:01 JR熱海駅
10:30 JR静岡駅。家を出てから普通電車に乗り継ぎ、約4時間。
まずは駅構内の「観光案内所」を訪ねる。
東海道を歩いた経験を持つ中年の案内係の人から詳しい説明を受けることが出来る。
城下町の道路は碁盤の目のように造られているが、現代のそれとは大きく違うので非常に注意を必要とする。
現代の幹線道路と「旧東海道」は大きく違うことがある。
11:30 西郷・山岡会見の地(*)
西郷・山岡会見の地 お馴染み二宮尊徳
【西郷・山岡会見の地】
所在地 静岡市伝馬町
慶応4年(1868)、江戸に向け駿府に進軍した有栖川宮熾仁親王を大総督とする東征軍の参謀・西郷隆盛と徳川幕府の軍事最高責任者・勝海舟の命を受けた幕臣・山岡鉄太郎(後の鉄舟)の会見が、同年3月9日に、ここ伝馬町の松崎屋源兵衛宅で行われた。
この会見において、15代将軍徳川慶喜の処遇を始め、江戸城の明け渡し、徳川幕府の軍艦・武器の引渡しなどが合意され、5日後の3月14日、江戸・三田の薩摩藩邸で行われた勝海舟と西郷隆盛との会談により最終的に決定され、江戸城の「無血開城」が実現した。
明治維新史の中でも特筆すべき会談に位置づけられるのものである。
11:40 駿府城・徳川家康の居城(*)
徳川家康公の像 駿府城 家康手植えのミカン
(静岡県指定天然記念物)
【駿府城】
徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。
天正13年(1585)には駿府城の築城を開始し浜松城から移りました。
しかし天正18年(1590)豊臣秀吉により関東に移封されました。
慶長10年(1605)に将軍職を息子秀忠に譲り、慶長12年には大御所として三度駿府に入りました。
この時期に城が拡張修築されました。

【東照公御遺訓】
 人の一生は重荷を負て遠き道を行くか如し急くへからす/
               
不自由を常と思へは不足なし/
      心に望みおこらは困窮したる時を思ひ出すへし/
            堪忍は無事長久の基怒は敵と思へ/
        勝つ事はかり知りて負くる事を知らされは害/
        其の身に至る己を責て人をせむるな及はさるは過きたるよりまされり
                              ・・・・・・・・・徳川恒孝書

【家康手植のミカン】  静岡県指定天然記念物
徳川家康公が将軍職を退いて紀州(和歌山県)より献上された鉢植えのミカンを天守閣下の本丸に移植したものと伝えられる。・・・・・静岡市教育委員会、静岡県教育委員会

家康公の御遺訓を読みながら一つ一つに「そうなんだよなぁー」ってうなずく

12:40 札の辻跡
札の辻跡

伊勢丹デパートの前

12:35 駒形神社
新しい神社で、何となく有り難みを感じない。
安倍川橋の近くで昼食
13:00 由井正雪の碑
安倍川の義夫の碑 名物「安倍川もち」
13:15 安倍川橋
橋の近くに「安倍川餅」を売る店が数軒連なっている。
柔らかい餅にきな粉と小豆あんをまぶした安倍川餅を2個を買う。200円。安倍川橋を渡りながら食う。つきたての柔らかい餅が実に美味い。
13:50 丸子(まりこ)宿(*)
【丸子】
丸子宿は文治5年(1189)、源頼朝が、奥州平定の功績により、手越平太家継という駿河の武士に丸子一帯を与えて駅家を設けたのが起源といわれている。戦国時代には今川家に仕えた連歌師宋朝長も「丸子という里、家5,60軒、京鎌倉の旅宿なるべし」と記しています。
江戸時代になり、徳川家康によって東海道の整備が行われると、丸子宿は品川宿から数えて20番目の宿場町に定められました。比較的小さな宿場町であったので、周囲の村々からも人足や馬を供給していました。
これを助郷制度をいいます。
14:10 水神社
14:15 丸子宿本陣跡(*)
14:25 お七里役所
丸子宿本陣跡 酒造店
14:30 丸子丁子屋(写真下の右)
ここには江戸時代から続く街道の名物「とろろ汁」があるが、時間が悪く、他に客人の気配が無く、
先を急ぐため素通りする。少々心残り。
丁子屋の土産物店 名物のとろろ汁の丁子屋

    歌川廣重;東海道五拾三次之内 鞠子

 「名物とろろ汁」の立て看板を出した有名な鞠子の茶店の風景。とろろ汁は、自然薯(じねんじょ)をすって味付けを加えたもので、ご飯にかけたりして食べます。滋養のある食べ物として人気がありました。茶店前の梅がほころび、のんびりとした春の気分を醸し出しているのは、明るい薄紅色で占められた空間処理の巧みさにあるようです。

14:40 二軒家交差点
駿府匠宿から900m。ここで国道1号線と合流、直ぐに別れる。
14:50 起樹天満宮
15:15 道の駅・宇津ノ谷。古い東海道宿場の風景が残っている。実に寂しい。何となく薄暗い。
付近にあるミカン畑と茶畑はすごい急斜面に開墾されている。
「宇津の谷」
その日まるで人の気配が無い
ものすごい急斜面の茶畑 「つたの細道」
「つたの細道」の他に昭和・平成トンネル入口がある。
江戸時代には存在しなかった「明治のトンネル」を抜けて岡部へと向かう。
15:50 明治のトンネル(*)
全長270m、明治9年に日本初の有料トンネルとして築造された。
現在のトンネルは明治36年に改修された。
赤レンガとオレンジ色の灯がともりレトロな雰囲気である。
この付近には「大正のトンネル」、「昭和のトンネル」(国道1号線)そして平行して最長の「平成のトンネル」」の4本のトンネルがある。ここはまるでトンネルの博物館だ。
明治のトンネルには電灯がある 「宇津の谷」
左は丸子宿、右は岡部宿
【明治のトンネルの由来】
宇津ノ谷峠は、慶長6(1601)年東海道に宿駅制が定められて官道となりました。
明治6年、岡部町の杉山嘉平治ら7人が「結社」を創立し、明治7年5月工事に着手しました。総工費24,800余円、労役人夫延べ15万人で静岡口約20mは青石造り、岡部口の大部分は木角合掌造りの「く」の字型のトンネルが明治9年6月に完成しました。
日本最初の有料トンネルで明治9年11月からは東海道本道として使用されましたが、明治29年に照明用のカンテラの失火によって、枠組みが焼失崩壊して一時使用不能になりました。
現在の赤煉瓦トンネルは、静岡口を一部変更し直線として長さ203mで明治36年に着工し、明治37年に完成しました。
しかし、昭和5年、この西側に、近代的な旧国道トンネルが開通したことに伴いあまり使用されなくなりました。
平成8年に近代の土木建造物の保護を目的として、新設された国の登録文化財制度により、平成9年5月29日、現役のトンネルとしては全国で初めて文化財建造物に登録されました。
・・・・・・・・・・・・・・岡部町教育委員会、岡部町建設課
暗くて湿気が多い。少々、気味が悪く女性一人ではとても歩けない。
誰もいないと思っていたら出口付近からニューッと地元の人が出現、互いに驚く。
トンネルを抜けると岡部に入る。
16:20 岡部台入口
江戸時代には宿場町として栄えた岡部宿だが、現代の旅人が泊まる適当な宿は甚だ少ない。
人に教えられて東名高速道路の焼津インターまで足を延ばすことにする。が、まだ遠い。
16:35 立光不動尊
岡部宿本陣跡(*)
【岡部宿】
東には宇津の谷峠、西には大井川という難所を控えていることから、平安時代後期より宿としての形を整え始めた。鎌倉・室町時代と発展を続け、慶長7年(1602)に宿の指定を受けた。
岡部宿は当初、川原町・本町・横町の3町で構成されていましたが、交通量の増加から寛永年間に内谷村が加わり、明治5(1872)年1月の伝馬所廃止を機に宿駅制度が急速に機能を失うまで、東海道の要所として栄えました。江戸時代の作家、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」にも登場します。雨中の宇津ノ谷峠で滑って転んだ弥次さんと喜多さんが、増水のため大井川が川止めと聞いて岡部宿に投宿する際に一首「豆腐なるおかべの宿につきてげり足にできたるまめをつぶして」と交通の難所であった様子が描かれている。

    歌川廣重;東海道五拾三次之内 岡部

 宇津ノ谷峠は、蔦の生い茂った杉の山が迫り、昼でも暗い細道は心細い。両側から迫る山すその圧迫感を濃い草色で埋めた色調、湾曲した道と、その脇を清流が走る構図は、距離感を増し、絵の完成度を高めています。この道を下ると岡部の宿につきます。

あちらこちらからキンモクセイの甘い香りが漂う。
16:45 瑠璃山光泰寺
聖徳太子像
17:10 藤枝市に入る
17:15 朝比奈川。久しぶりに夕焼けを見る。まるで山火事のようだ。
岡部宿 まるで山火事のような夕焼け
【高札場跡】
高札場は、宿場内の目立つ所や、人々の多く集まるところに設置され、法度や掟(法律や条令)、犯罪人の手配などを木札に書き高々と掲げて、社会の人々に知らせた。
高札が、四辻(交差点)などに立てられると、そこを「津田の辻」と呼んだ。
17:20 藤枝市仮宿交差点
今日の東海道歩きはここで終わる。
ここからビジネスホテルのある藤枝IC付近まで2km程もある。余計な2kmは遠い。
18:00 焼津インターチェンジ付近にある「ホテルルートイン」にチェックイン
現代の宿に入って直ぐに風呂に入り、まずは足のメンテナンスをする。
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