日本橋から京都三条大橋まで約492km。 慶長6年(1601)から7年間かけて徳川幕府が江戸・日本橋を起点に東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中の五街道を造った。江戸時代における街道は交通と情報連絡の通信網であった。 現代における高度情報化社会におけるルーツを探る旅である。 日本橋から「東海道ウォーカー」に挑戦してみませんか。 東海道の次は「中山道ウォーカー」の予定。
東京都中央区日本橋1丁目、「日本国道路元標」は佐藤栄作氏(元総理大臣)の筆による。 江戸時代の旅人は「七つ立ち」、現代時間の午前4時頃に日本橋を出発したらしいが家庭の事情や電車の都合で平成の旅人・東海道ウォーカーはこの時間に日本橋を発つことになる。 サラリーマンを辞め時間が出来たら、いつか東海道を歩いてみたいと考えていた。 街道歩きには体力、気力それに資力も必要ついでに家族の理解・・・・あれやこれやと思案していると実行に移す決断が数年も要することになる。 2008年5月、60歳代中半にもなって、ようやく決意が付いた。「まだ、やれる!」自分への挑戦である。 夢の実現第1日である。今がその時、これから京都三条大橋まで492kmを歩くと思うと不安と期待が交錯する。 が、誰も注目してくれない。出来れば「東海道一人旅中」の幟でも立てて歩けば、行き交う人が少しは注目したり激励してくれるかもしれない。 友人、知人に「東海道歩きの計画」を吹聴する自信はまだない。きっと箱根を越えた辺りで身近な友人だけには話せる、かな。
歌川広重五十三次之内「日本橋」
江戸から京都へ向かう東海道の起点である日本橋。その東海道を描いたシリーズの巻頭を飾るにふさわしく、参勤交代の大名行列が朝早く江戸を出発する様子が描かれています。一方で、魚を天秤棒で担いだ一団が、向こう岸にあった魚河岸から仕入れを終え、行商に出かける様子も描かれており、江戸で一番賑わっている早朝の日本橋の活気が伝わってきます。
京橋を過ぎると、直ぐに「銀座通り」である。小雨の中、日枝神社の夏祭りを準備している。 「あのー、私は今、日本橋から、あの三条大橋まで歩き始めたんですよ」って道ゆく人に片っ端から訴えかけ、少しは注目してもらいたいのだが。
高速道路の高架下には「ハナマサ」なんて店がある。 「マクドナルド」とか「スターバックス」なんてカタカナ文字の名前の店は旧東海道筋からは遠慮してほしいものだ。 この付近に「東海道」の痕跡を捜すのははなはだ困難である。
歌川広重;東海道五十三次之内「品川宿」
最初の宿場である品川は、東海道の旅へ出る者、送る者が別れを惜しんだ所で、何軒もの茶屋が軒を連ねていました。また一方では、旅人だけでなく江戸の人たちがちょっと出かける行楽地でもあり、桜で有名な御殿山でのお花見や海浜での潮干狩りなどで賑わいました。本図は御殿山の下を通過する大名行列の最後尾を描いたものです。
13:03
千躰荒神があり、3月と11月の27・28日には、千躰荒神祭の参詣者でにぎわう。(台所の神様として人気があり女の人が多い)そうだ。
13:50
現代で、お仕置きといえば、「駄目じゃないか!これからは気を付けなさい」、「は〜い、わかりました!次から気をつけま〜す」という軽い、正式には何というか知らないが、説諭くらいに考えるが、江戸時代264年間に10〜20万人が死罪になったという。 単純計算で江戸時代には毎日・毎日1−3人が処刑されていたことになる。