第18日目
宮(七里の渡し)〜桑名(朝日町)

月 日; 2009年3月25日(水)、天気;晴
区 間; 宮(七里渡し場跡)→桑名(七里の渡し場跡)→朝日町、約20.0km(→自宅)
時 間; 6時間0分
費 円; 費用;合計14,397円
宿泊代(KORONA World)1,500円(寝具代=追加分)、朝食(菓子パン2個、ヨーグルト)347円、昼食(回転寿司、くら寿司)850円、交通費(近鉄・朝日町=名古屋)480+500円、(新幹線・名古屋=東京)10,070円、きしめん650円
歩 数; 33,974歩

08:00 KORONA World(=健康ランド)発
予想に反して、昨夜は健康ランドの睡眠室で、快適にぐっすり眠ることができた。
宮から桑名まではなんの変哲もない、国道1号線をひたすら歩くことになる。
頻繁に自動車の行き交う国道を一人で歩いていると、街道歩きの楽しさとか有意性を見いだすのが難しく、東海道ウオーカーは深刻な顔になる。
08:20

蟹江町に入る
ここから急に小雨が降り出し、傘をさして歩く。
古めかしい看板が下がっている。

09:40

国道1号線の道路案内に「桑名」の名前がようやく出てきた。

10:35 木曽川
尾張大橋。橋の脇に古い味噌や酒販売店の看板がある。いかにも古い。
木曽川を渡って桑名市に入る。愛知を抜けてようやく三重県に入る。
道路標識に京都の名前が見られるようになった。
11:10

長島町、又木茶屋

11:25 長良・揖斐川
ここでは二つの川が合流している。昔は随分と暴れ川だったようだ。
11:25 長良川・揖斐川の橋の西側(京都寄り)
ここから左折して川下に向かう。
桑名の渡し場跡に近い、長良川の河口付近
12:00

桑名の七里の渡し場跡(*)
宮からここ桑名の渡し場跡まで七里(約28km)がとても遠かった。
韓国の観光旅行の団体と一緒になる。
江戸時代の旅人は宮から桑名までこの区間、約28kmは歩かなくてすんだ。うらやましい。 

七里の渡し(桑名)

桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は江戸時代の東海道唯一の海路で、その距離が7里(約28キロ)あることから、七里の渡しと呼ばれました。七里の渡しはちょうど伊勢国の東の入口にあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が天明年間(1781〜1789)に建てられました。
七里の渡しの西側には舟番所、高札場、脇本陣駿河屋、大塚本陣が七里の渡しの南側には舟会所、人馬問屋や丹羽本陣があり、東海道を行き交う人々で賑わい、桑名宿の中心として栄えました。
昭和33年(1958)、七里の渡し跡は三重県指定史跡となりました。昭和34年(1959)には伊勢湾台風によって、この付近は甚大な被害を受けました。現在では七里の渡し跡の前に堤防が築かれたため、七里の渡し跡の風景は、江戸時代とは異なる表情を見せています。

12:15 桑名宋社
12:26

舟津屋

古い建物で昔は本陣だった。今でも旅館を営業されている。
12:50 志見津屋見附跡
この付近、街道が複雑に曲がりくねっている。周囲はすっかり住宅に囲まれている。
ちょっと油断すると東海道を見失ってしまう。
12:55

光徳寺
国光大師遺跡

13:00 十念寺
13:05 一目連神社
14:00

町屋橋

14:05

真光寺
風と雨が降り出し、途端に歩くことに倦怠感を覚える。

14:12

縄生の一里塚

いつも街道筋で「一里塚」の石碑を見るとホッとする。
朝日町

弥生時代以降の遺跡が西部丘陵を中心に点在しています。なかでも、昭和61年の発掘調査によってその塔跡が明らかになった縄生廃寺跡は、白鳳時代創建と考えられる寺院跡で、全国的に注目を集めました。塔心礎から一括出土した舎利容器は、平成元年に国重要文化財に指定されました。
この町は、「日本書紀」に「朝明駅」(縄生付近と考えられている)と記述され、壬生の乱(672年)の時には、大海人皇子らが美濃国へたどった道筋にあたります。
また、江戸時代には東海道筋として栄えたところでもあります。

(三重県三重郡朝日町 昭和29年10月17日町制施行)

14:20

近鉄朝日駅
幸いにも旧東海道が駅の近くを通っている。ここから東京へ引き返すことにする。

15:00 名古屋着
15:20

名古屋発新幹線のぞみ234号
いつもそうだが歩いた後、乗り物に乗ると背中から伝わるその振動がとても気持ちよい。

17:00 品川駅着
東海道を歩いて16日間もかかった名古屋から品川まで10,070円、新幹線に乗るとたった2時間で到着
新幹線の乗車料金が安いと感じたのは初めてである。
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