第22日目(最終日)
(自宅→高速バス)草津〜大津〜三条大橋(ゴール)

月 日; 2009年7月12日(日)、天気;晴
区 間; (自宅→)草津宿→京都・三条大橋(ゴール)約26km
時 間; 9時間00分(予想していたより時間がかかってしまった)
費 円; 費用;合計7,770円

バス代200円、夜食¥450(ソバ)、高速バス代¥6,000(新宿ー草津)、朝食(ソーセージマックセット)¥440、エネルゲン(クッキー)¥210.-、拝観料¥200、ドリンク¥120、 パン\150

歩 数; 47,500歩

21:54

23:30
(7月11日・土曜日)自宅を出発
通常はぼつぼつ寝床に付く時間、こんな時間帯に家を出発する。何だか気が乗らない。
新宿西口・バスセンター発(高速バス・「京都行き」)
05:00
(7月12日・日曜日)JR草津駅前
もう夜はすっかり明けているが、街全体はまだ眠っている。
駅前のベンチで身支度を整える。所在無いおじさんと訳あり風な若者とがベンチにたむろしている。
<草津駅前商店街は未だ眠っている>
05:10 歩行開始、ファイトーッ!
東海道歩きを始めて22日目、永い旅が今日終わる。絶対終わる、嬉しい。
この時間にはコンビニだけが店を開いている。
05:20 東海道と中山道の追分
草津宿本陣跡(写真;上の右)
草津宿高札場(写真;上の左)
05:20

草津本陣跡
前回の最終地点、今回の出発地点。
時々、朝の散歩の人が通るのみ。
今日は京都・三条大橋の旧東海道ゴールを目指す。東京から友人が3人、出迎えてくれる予定。

 
草津
    歌川廣重;東海道五拾三次 草津 
 東海道と木曾海道との分岐点であり、また琵琶湖の交通の要所であった草津は、有数の宿駅として栄えました。名物立場の「うばが餅屋」は、町はずれの矢橋(やばせ)湊へ曲がる角にあったといわれています。大きな琵琶湖の周辺から生まれる産物の交易の場としても重要な所でした。
 「東海道」は、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中を加えた5街道の中でも江戸と京を結ぶ江戸時代随一の幹線路であった。
 その里程は、江戸日本橋から相模小田原宿を経由、箱根の関、大井川を越え、遠州灘沿いに西進し、伊勢桑名宿を経て、鈴鹿峠から近江に至り、土山、水口、石部、草津の各宿を経由、勢田橋を渡り、大津宿を経て、京三条大橋に至るもので、東海道五十三次と称された。
 草津では、小柿から大路井に入ると、すぐ砂川(旧草津川)を渡り、11町53間半(約1.3km)の草津宿を経て矢倉、野路、南笠を通過し、勢田に至った。
 草津宿には、本陣、脇本陣などが設けられ、常善寺、立木大明神(立木神社)ほかの多数の社寺が立ち並び、70軒を超える旅籠をはじめ500軒以上の町家があった。
 また、矢倉には光伝寺、姥ケ餅屋、矢倉道標、野路には一里塚、教善寺、新宮大明神(新宮神社)、野路の玉川跡などの社寺名所が在り、矢倉野路間、野路南笠間の街道沿いには松並木が続いていた。
         草津市教育委員会
05:45

立木神社
草津駅前商店街がここで終わる。いよいよここから京都・三条大橋に向かって最後の街道歩き。

06:00 稲荷神社
06:05

旧東海道は国道1号線と斜めに交差している。特に車の往来の激しい現代の国道と斜めに交差すると、旧道がとても見つけにくい。
一里塚。道中で「一里塚跡」を見ると思わず嬉しくなる。

06:10 清宗塚
【平清宗】(1170〜1185)
 平安後期の公卿、平宗盛の長男、母は兵部権大輔平時宗の娘。後白河上皇の寵愛をうけ、3才で元服して寿永2年には正三位侍従右衛門督であった。
 源平の合戦により、一門と都落ち、文治元年壇ノ浦の戦いで父宗盛と供に生虜となる。
 「吾妻鏡」に「至野路口以堀弥太郎景光。梟前右金吾清宗」とあり、当家では代々胴塚として保存供養しているものである。    遠藤権兵衛家  当主 遠藤勉  
06:25 野路萩の玉川
06:35
弁天池
07:00 東海道立場跡
月輪池(上・下二つの池)
ガマ蛙の鳴き声が盛ん。まるで豚か牛の鳴き声のようだ。
<左は草津宿本陣へ3・7km、瀬田唐橋へ4・9km地点>
07:10 一里塚
洗濯屋の店先に大きな石碑がある。何だか迷惑そうにしている。
【一里塚】

 一里塚は徳川幕府が旅人の目じるしに江戸の日本橋を起点として、東海・東山・北陸の三道に一里ごとに設けた塚です。
 ここにあった一里塚は、東海道の大津と草津の間に位置するもので、大きな松の木が植えられた塚でしたが、惜しくも明治末期に取り除かれました。その場所は旧道と広い市道の交差しているこの地点にあたります。
 現在の一里山という地名が一里塚のあったことを物語っています。
       大津市教育委員会   昭和61年3月

07:30 若松神社
07:50 この付近で一時、旧東海道を見失い、道を引き返し、ようやく戻ることが出来る。
08:10

近江国庁跡
ただ広い広場があるだけ。この付近でも旧東海道を見失う。

08:30

正法寺
唐橋が直ぐ近い

08:40

瀬田の唐橋に着いた。ようやく到着した。バンザイ!を叫びたい気分だ。
ここまで来れば、もう京都が近い。橋のたもとに常夜燈がある。
わざわざ東京から、ゴール地点の三条大橋での出迎えのメンバーには到着予定時間を今日の午後1時と伝えている。このペースでは早すぎる心配がある。

<これが瀬田の唐橋だ!>
09:10 JR石山駅
ここで旧東海道はJRの駅舎内を通過している。
「ご免なすって!」、東海道ウォーカーは挨拶して通過する。何となく情けないというか恥ずかしい。
09:45

膳所城勢
多口総門跡

09:50 若宮八幡神社
09:55

京阪電車・瓦ヶ浜駅

10:00

中の庄駅
この付近には特に見るほどのものがない、淡々と前進する歩くのみ。京都がぐんぐん近づく。

10:05 膳所神社
和田神社
10:15 響忍寺
10:20 石坐神社
10:30

義仲寺(ぎちゅうじ)

【義仲寺 境内】(ぎちゅうじ けいだい)
       
(大津市馬場1丁目)
 義仲寺(ぎちゅうじ)の名は、源義仲を葬った塚のあるところからきていますが、室町時代末に、佐々木六角氏が建立したとの伝えがあります。
 門を入ると左奥に、俳聖・松尾芭蕉の墓(左の写真)と並んで木曽義仲の供養塔が立っています。
 「木曽殿と背中合わせの寒さかな」という著名な句は、芭蕉の門人・
又玄(ゆうげん)の作です。境内にはこの句をはじめ、芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」など多くの句碑があります。また、巴御前を弔うために祭ったといわれる巴地蔵堂もあります。
 昭和42(1967)年11月に国指定の史跡となりました。
               大津市教員委員会
12:00 露国皇太子遭難碑
11:20

蝉丸神社
鳥居の前に電車が通っている。

いよいよ京都が近い。
「逢坂の関」への上り坂が続く。ファイトーッ!
電車は「大丈夫?」と心配になるほどの急勾配を上っていく。

関蝉丸神社上坂(写真;左)

11:30

常夜燈
逢坂の関址
逢坂1丁目。ここを越せばいよいよ京都の町に入る。

 
大津

    歌川廣重;東海道五拾三次之内 大津宿

 琵琶湖の南に位置する大津。「走り井は逢坂大谷町茶屋の軒場にあり、後の山水ここに走り下って湧き出づる事、瀝々として増減なく甘味なり」とある有名な泉のある茶屋のありさまが描かれています。米俵を運ぶ車が連なる図は、大消費地京都を間近にひかえ、物流の流通が盛んであったことが偲ばれます。

 <逢坂山関所跡>
12:05 大津ソロバンの始祖・・・・何だかよく判らん。
【大津ソロバンの始祖・片岡庄兵衛】

 江戸時代、東海道筋のこの付近で売られていた大津算盤は、慶長17年(1612)、片岡庄兵衛が、明国から長崎に渡来した算盤を参考に、製造を始めたものと伝えられる。同家は以後、この碑の西方にあった一里塚付近(旧今一里町)で店を構え、幕府御用達の算盤師になったという。なお昭和期まで、この碑の場所にも同家のご子孫が住まわれていた。

12:25
「追分」
右・京都、左・宇治

もうすぐ京都だ!ファイトッ!

12:27 車石
東海道
【車石】

東海道五十三次、大津八丁(札の辻)から京三条大橋までの約3里(12km)の間、物資輸送する牛馬車の通行を楽にするため花崗岩に溝を刻んで切り石を敷きつめた。
文化2年(1805)心学者 脇坂義堂が発案し近江商人・中井源左衛門が財を投じたとも伝えられている。
この付近は車道と人道に分かれていて京に向かって右側に車石を敷き左側は人や馬の通る道であったと伝えられている。
当寺の境内にも数基保存している。
放光山 閑栖寺(かんせいじ)

12:40 三井寺観音道
12:45 京都市に入る
12:55

十禅寺

13:05
五条との分かれ道標

もうすぐ三条大橋だ、ファイトッ!

13:15
天智天皇山科陵
14:20

三条大橋へ到着! バンザイ!
東京から友人3人がわざわざ出迎えてくれる。
東京・日本橋からここ京都・三条大橋まで492km、歩き始めて22日目東海道完歩!
夜は4人で名物京都料理である「焼肉!」(・・・・?)を満腹に食う。美味い、実に美味い。
あー、グルメで美食家のカミさんに、この京都の焼き肉を腹いっぱい食べさせたいな。
 
三条大橋

    歌川廣重;東海道五拾三次 京都

 「京師(けいし)」とは、都、つまり京都のことです。三条大橋の上に立つと東海道の旅も終わりです。眼下には賀茂川がゆったり静かに流れ、江戸とは趣を異にする大原女や京女が行き交います。遠くに東山を眺めると、長かった旅が終わった安堵感が伝わってきます。

通行人にいろいろ質問される 先斗町で本物の芸者さんと
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