【甲州街道】
 
甲州街道(江戸時代は甲州道中と呼ばれていた)は徳川家康が制定した五街道(東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中)の中でも地味な存在であるが、小仏峠・笹子峠を越え、韮崎の七里岩絶壁を遠望し、造り酒屋を堪能し、諏訪湖を眺めて中山道の下諏訪宿へ55里219km四十四次の道中。 3軒の本陣建物が残っており、遺跡・遺構も結構多い。 景色の良さも見逃せない街道である。 

第3日目
高尾駅〜小仏峠〜与瀬〜吉野〜JR上野原駅

月 日; 2009年12月15日(火)、曇
区 間; 高尾ー小仏峠ー上野原宿
時 間; 10時間10分
費 用; 3,335円
(内訳)バス代200円、京王線330円、マクドナルドセット460円、パン2個、ヨーグルト、カロリーメイト合計565円、昼食950円、JR上野原ー八王子駅320円、京王線310円、バス代 200円
歩 数; 42,500歩、約19.0km

06:40 自宅発
07:40

JR高尾駅
駅構内にあるハンバーガーショップで朝食。街道歩きには美味いんだなぁ、これが。

08:00 高尾駅前交差点
今日の出発点、前回の終点である。
寒い、通勤通学客が多い。
JR高尾駅前には今日も登山者が大勢 高尾駅から50m程に「旧甲州街道」がある
08:05

日本橋から51km地点。
前方に小仏峠の山並みが見える。
しばらく歩いてから、道の間違いに気づき約500m程戻る。街道歩きで「同じ道を戻る」ことはとても辛い。
ガイドブックにある「小名路」という記載が「西浅川」交差点という名前に変わっていた。

08:35

西浅川交差点
この付近より道路は小仏峠に向かって少しずつ登りになる。

08:45

小仏関跡
バス停の前

<小仏関跡>
手形石と手付石
<駒木野宿>
【国指定史跡 「小仏関跡」】
 小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられ富士見関ともよばれた。武田・今川・織田などの周辺の有力氏が滅ぶと麓に一度移され、その後、北条氏の滅亡により、徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移されるとともに整備された。
 この関所は、道中奉行の支配下におかれ、元和9年(1623)以降4人の関所番が配備された。
 関所の通過は、明け六つ(午前6時)から暮六つ(午後6時)までとし、しかも手形を必要とした。鉄砲手形は老中が、町人手形は名主が発行。この手形を番所の前にすえられた手形石にならべ、もう一つの手付き石に手をついて許しを待ったという。
 特に「入鉄砲に出女」は幕府に対する謀反の恐れがあるとして重視し厳しくとりしまった。抜け道を通ることは「関所破り」として「はりつけ」の罪が課せられるなど厳しかったが、地元の者は下番を交替ですることもあって自由な面もあったらしい。
 明治2年(1869)1月の太政官布告で廃止され、建物も取りこわされた。

       平成10年7月1日  八王子教育委員会

08:55 甲州街道念珠坂
<甲州街道・念珠坂>
かってこの付近には高札場があった
09:00 小仏の石像
場所の名前のせいか、あちこちに小さな石仏像が多い
09:05 いのはな入口
09:30 釣り堀
平日のこの時間に釣り人は全くいない。
09:50 バス折り返し場
これから先の道路にバス便はない。
<この集落の近くはJR中央線も直ぐ近くを走っている>
<高速道路ICの大規模な工事が行われている>
09:55

宝珠寺
この寺を過ぎて100m程で並行する中央高速はトンネルに入り、そこから静かな街道歩きを楽しめる。

<宝珠寺>

天然記念物の「ウゴノキ」(上の写真)

この日、お寺では何事か不幸ごとがあったらしい。急いで退散する。

10:15 景信山登山口
指導標・右に行くと景信山登山道
10:20

小滝
ここから山道となる。他に歩いている人は誰もいない。

これが旧甲州街道
かなり急勾配の坂道
10:25 水飲み場
実に美味い水。
昔の旅人もこの水を飲んだに違いない
10:40

小仏峠
2軒の小屋がある。観光シーズンには茶店を開くのだろうが今日は廃屋同然となっている。
ここにも立派な「明治天皇小仏峠御小休所阯の碑」がある。

<小仏峠>
ここが旧甲州街道。昔はここに関所があった。
11:10 中峠
突然、この道標が現れる
11:20 公道へ出る。
東海道自然歩道
<この付近は昔道である>
11:25 底沢
11:40 美女谷
【照手姫伝説】
照手姫伝説は日本各地に伝えられています。
底沢の「美女谷」の地名も昔、ここに暮らしていた武士の夫婦が観世音に願いをかけ授かった気だての優しい美しい娘「照手」の話に由来していると伝えられています。
11:55 長久保「小原宿一里塚」
12:00 国道20号線に合流
12:05 小原宿本陣
                         <小原宿本陣>

 甲州道中の宿場本陣として県下で唯一現存する。瓦屋根の豪壮な門構え、入母屋造りの建物、14室の部屋などが往時のままに残されていて、県の重要文化財、「かながわの建築物100選」にも指定されています。

【小原宿】
 
徳川幕府により整備された五街道のひとつ甲州道中。道中沿いに開けた宿場町のなかでも「小原宿」は往時の様子を今も辿ることが出来る貴重な町並みを残しています。かって街道に人々が行き交った時代に思いをはせてゆっくり歩いて廻れば、当時の旅人たちが見た風景がそこここに息づいています。
12:05

昼食「セブン・イレブン」でパンとヨーグルト
歩きながら食べる。一層、美味いんだなぁ、このスタイルだと。

12:35 旅館・「ひらの」
20号線と旧甲州街道との分岐に「平野・旅館」がある。
12:50 与瀬下宿
12:55 与瀬宿
13:00 相模湖駅前
13:05

与瀬本陣
慈眼寺入口

<与瀬本陣跡>

13:15 与瀬上宿
【ヤヨさんキヨさん】
与瀬神社の伝承として、兄弟が岸辺の上流から流れてきたご神体をすくいあげ、与瀬神社に移していらい、ご利益の霊験あらたな神様になったと伝えられている話があります。
毎年、4月の祭典には「ヤヨ、キヨ」と声をかけて担ぐ神輿の渡御がおこなわれています。
13:20

貝沢
ここで「ラーメン・ライス」950円、今日2回目の昼食、うまーい!街道歩きには「ラーメン・ライス」に限る。

13:50 与瀬宿一里塚
13:55 秋葉神社
<秋葉神社(跡)>
14:00 間宿 橋沢
14:10 子の入
14:15 赤坂
14:20 観福寺
13:40

吉野宿高札場
国道20号線に合流する。

<吉野高札場跡>
旧甲州街道はこの付近で国道20号線と再び合流する
<相模湖>湖面がきらきら輝いていた
14:35

吉野橋(沢井川)
相模湖がくねくねと入り込んでいる。
この付近で東京からの距離約68.5km。気温8℃。ファイトーッ!

14:55 JR藤野駅
16:10 増珠寺
15:30 下小淵下(名倉入口)
15:40 諏訪関跡
諏訪番所、境川番所、境川口番所とも呼ぶ
1、通行取締りと物資出入り調べ
2、高瀬舟取締りと徴税(2割2分)
3、鶴川「渡し場」取締り
4、通行手形改め
    男は上り下り不用
    女は江戸へ入用、下り不用
  *但し小仏関所(駒木野)
    江戸へ男・女入用
    帰り不用
5、番所坂所在茶店よりの情報聴取
  *番所役人 番所定番 9人
          獄舎取締り 1人
16:00 一里塚(塚場)
<一里塚の跡>
【一里塚(塚場)】
  この一里塚は、五街道の一つである甲州街道に築かれた塚の一つです。日本橋から18里(70・62キロメートル)・17番目のものです。
 五街道とは、徳川家康によって設定された東海道、中山道、奥州街道、日光街道、甲州街道のことです。
 二代将軍秀忠は一里塚の制を定め、永井白元、本白光重の二人を一里塚の奉行に任命して、全国に築かせた。一里塚は街道の両側に5間四方(82・5平方メートル)の大きさで築かれた塚です。その上にエノキ、ケヤキ、松、モミなどの木を植え、目印としました。植えられた木は榎が多かったが、この塚に植えられていた木はモミだったようです。
 一里塚は、明治34年、中央線が開通してからの距離を知って、もう一里、もう一里と塚を楽しみに旅をしたり、人夫や馬を借りるときの駄賃をきめる基準にしました。(原文のまま)
 また、暑いときはひと休みする木陰に利用したり、にわか雨には雨宿りの場ともなりました。

                                       上野原教育委員会

16:07

新町交差点
旧甲州街道はここで国道20号線と合流

16:10

新町2丁目交差点( =JR上野原駅入口)
今日の歩きはここまでとする。
寒く、薄暗くなりはじめた。

16:30 JR上野原駅
16:45 JR上野原駅発
今日の街道歩きの距離は大したことは無いが、小仏峠越えの山道は少々きつかった。
18:30

自宅帰着

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