【甲州街道】

 
甲州街道(江戸時代は甲州道中と呼ばれていた)は徳川家康が制定した五街道(東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中)の中でも地味な存在であるが、小仏峠・笹子峠を越え、韮崎の七里岩絶壁を遠望し、造り酒屋を堪能し、諏訪湖を眺めて中山道の下諏訪宿へ55里219km四十四次の道中。 3軒の本陣建物が残っており、遺跡・遺構も結構多い。 景色の良さも見逃せない街道である。

第4日目
JR上野原駅〜新町2丁目〜鶴川宿〜犬目宿〜猿橋宿〜大月宿

月 日; 2009年12月29日(火)、晴れ
区 間; 上野原宿(73.6km)ー大月宿(95.6km)
時 間; 7時間05分
費 用; 3,101円(内訳)
バス代200円、京王線(つつじヶ丘ー高尾)330円、JR320円、バス代150円、昼食561円、JR(上野原ー高尾)570円、駅そば440円、京王線(高尾ーつつじヶ丘)330円、バス代 200円
歩 数; 37、000歩、約22.0km

06:23 自宅発
06:38 つつじヶ丘発
07:27 JR高尾駅発、中央線
07:54 JR上野原駅
     <新町2丁目交差点> 何だかうまそう!
一個だけ買おうと思ったが時間が早く、未だ開店していない。
08:10 新町2丁目交差点
今日の歩き始め、曇り空、寒い。
早速、交差点近くのコンビニで菓子パン2個、飲むヨーグルト1本(359円)を購入、歩きながら食べる。
うまいんだぁ、これが。街道歩きはなんたって、「歩き食い」に限るのだ!出来たら一日中食べ続けたい。
09:00 鶴川入口付近で道に迷い30分ほど時間と体力をロスする。
09:10

鶴川橋(下の写真、右は鶴川宿全景)
今はこんなに小さな川も、昔は一旦氾濫すると川越えに人手を必要とした。
『甲州道中記』によると「市川海老蔵甲府へ芝居に参る時、百両、川越しにゆすられしと受給る」・・・・云々
山には山賊、海には海賊そして川には川賊(?)が生息していた・・・・かな?この小さな川越しも昔は難儀したようだ。

      鶴川と鶴川宿(川の左側=甲府方面)
09:15

加藤氏宅(昔の問屋)
現在も立派なお宅である。

<鶴川宿>
            加藤氏宅(昔の問屋さん)
09:40

鳶ヶ崎橋
中央高速を横断。
この橋の名前はガイドブックの記載とは異なっていた。

09:45 大椚(くぬぎ)の一里塚
          <大椚(くぬぎ)の一里塚>
10:00 吾妻大権現
10:12

長嶺の史跡
直ぐ横に中央高速が通っている

10:47

野田尻宿
ここで親切な農家の方(下の写真・右のおじさん)に呼び止められ、家に入りCoffeeとミカン3個、飴4個をいただく。街道歩きのことを激励される。ファイトーッ!

<野田尻宿入口>    とても親切なおじさん(野田尻宿)
10:50 大嶋神社
11:07 矢坪橋
中央高速を横断
11:25 矢坪の古戦場跡
11:40

新田入口
ここでようやく防寒具の上着を脱ぐ。

11:50 犬目宿
        <犬目宿>
12:00 サンメンバーズゴルフクラブ入口
以前、ここで友人のH氏と何回かプレーしたことがある。
直ぐ近くに宝勝寺がある。
12:20 君恋の宿(温泉入口)
<一里塚(君恋)>
とても形良く残っている一里塚
12:22 一里塚(君恋)
12:30

山住神社
この付近に昔の石畳の街道(60mほど)が残っていた。

昔の石畳が残っている。距離は約60m程
12:35

大月市に入る
パン2個、鳥空揚げ1本、午後の紅茶1本を購入、ここでも歩きながら食べる。このスタイルが良いのだ。

13:05 中野
旧甲州街道。この付近は静かな街道歩きが楽しめる 古い家並みが残る。嬉しい
13:15 国道20号線(現代の甲州街道)
「中野入口」のバス停
13:25 JR鳥沢駅
14:15 甲斐の猿橋
               <猿橋>
14:20 猿橋宿
14:35 JR猿橋駅
14:57 志村の秋葉大権現
寒くなってきた。
         <秋葉大権現>               <岩殿城跡>
15:05 巨大な絶壁の前に岩殿城跡が見え始める。(上の写真・右)
        <JR大月駅>
15:15

JR大月駅前交差点(大月宿)(日本橋からの距離95.6km)
今日の終点。駅まで50mほどの距離しかない。ありがたい。
寒い、身体が冷え切ってしまった。ここまで今日の歩行は37,006歩
駅構内にある立ち食いそば店で「天玉そば」を食べる。身体もあったまる、実に美味い!こんなにウマイもんがこの世にあったのだ!

15:57 JR大月駅発
17:25

つつじヶ丘駅

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