【甲州街道】

甲州街道(江戸時代は甲州道中と呼ばれていた)は徳川家康が制定した五街道(東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中)の中でも地味な存在であるが、小仏峠・笹子峠を越え、韮崎の七里岩絶壁を遠望し、造り酒屋を堪能し、諏訪湖を眺めて中山道の下諏訪宿へ55里219km四十四次の道中。 3軒の本陣建物が残っており、遺跡・遺構も結構多い。 景色の良さも見逃せない街道である。

第6日目
JR勝沼ぶどう郷駅→勝沼宿→栗原宿→石和宿→甲府宿→JR塩崎→自宅

月 日; 2010年1月18日(月)、晴れ
区 間; 勝沼宿(124.6km)〜塩崎(甲府柳町)(140.2km)、残り:70.6km
時 間; 7時間50分
費 用; 合計:5,130円
(内訳)バス代200円、京王線(つつじヶ丘ー高尾駅)330円、JR(高尾ー勝沼ぶどう郷駅)950円、朝食(菓子パン1個、チキン空揚げ1個、ヨーグルト1本、330円、中華セット 980円、JR(塩崎ー高尾駅)1,450円、京王線(高尾ーつつじヶ丘)330円、飲み物3回360円、バス代200円
歩 数; 40,730歩、約15.6km

06:35 京王線 つつじヶ丘駅発
まだ、太陽は上がっていない。空は茜色に染まっている。
うー、寒い。上り電車は通勤通学の乗客がホームに大勢いる。
07:27

JR高尾駅発
上着を忘れた。特に腕の部分が寒い。
出来れば、今日の予定を中止して帰りたい。でも、前進。

08:45 JR勝沼ぶどう郷駅
快晴。寒い。道路脇には雪だまり残っている。
駅舎の中から南アルプスの赤石岳、白根三山、北岳それに鳳凰三山、駒ケ岳が展望される。手前には甘利山、左手には甲府市街が一望である。寒いよー、帰りたい!
08:50

JR勝沼ぶどう郷駅出発、歩行開始。ファイトーッ!
この段階になっても、例えばカミさんが急病になってくれるとか、何らかの正当な理由があれば、街道歩きなんて止めて、早速家に帰りたい。
雲一つ無い快晴。日陰には雪が残っている。とても寒い。

<JR勝沼駅前から見る南アルプス連峰>
09:10

シャトー勝沼。
この付近、ディズニーランドかヨーロッパで見るような風景が広がる。
周囲は全てブドウ畑、シーズンには相当に賑わうだろうが、今は閑散としている。
JR勝沼ぶどう郷駅からは旧甲州街道へ向かってずっと下りが続く。寒い。

09:15 旧甲州街道・勝沼宿(前回の終点=今回の出発地点)
ここまで来て、今日も歩くゾー!という覚悟がようやく出来た。ファイトーッ!
<勝沼宿本陣>
<上行寺>
    【勝沼宿】

 「勝沼宿は甲州街道(甲府街道)の宿として、元和4年(1618)に新規取り立てとなり、鶴瀬・駒飼宿と栗原宿の間の荷物、人の継ぎ立てを行った。甲府盆地の東端に位置していることから、峡東地方の物資集積の場として栄え、万治元年(1658)には市が始まり、寛文12年(1672)には上・中・下の三市場と二、七の定め市の制度が設けられ、貞享3年(1686)には宿場の拡大にともない上町・中町(現 仲町)・下町(現 本町)・横町・上新町(現 富町)・下新町(堰合町)の町名制が定められた。天保14年(1843)当時の勝沼宿は、総家数192軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅旅籠23軒、問屋場一カ所、継立人馬25人・25匹、高札場一カ所を備えていた。勝沼町  教育委員会」

09:20

本陣槍懸けの松
どうってことない、ただの老松だが。

            <槍掛けの松>
本陣跡に生えている松。
名のある大名一行が泊まったとき、この松の枝に槍を立てかけて置いたところからこの名がきている。
「明治20年頃大火の後、自己所有の山林(大和村)の木材にて造った。
  
地下1階地上3階の土蔵
  
勝沼町にて保存予定
  
所有者 山梨市小原西 福嶋屋薬局」
手作りの土蔵。相当に古い、ものすごく古い。
   <旧田中銀行社屋 国登録有形文化財>
 「藤村式建築の流れをくむ建物。明治30年代前半勝沼郵便電信局舎として建てられた伝承をもつ入母屋物で、大正9年より昭和7年頃まで山梨田中銀行の社屋として利用された。
 外壁の砂漆喰を用いた石積み意匠、玄関の柱や菱組天井、二階のベランダ、引き上げ窓、彩色木目扉、階段などに凝洋風建築の名残があります。また、建物の背後には銀行時代に建てられた、扉に「山梨田中銀行」の名が鮮やかに残るレンガ外装の土蔵があります。   勝沼町 教育委員会」
09:50

等々力交差点
この付近には一里塚があるはずだが、見つからない。
コンビニで朝食を買う。そして歩きながら食う。

10:25

下栗原交差点
栗原宿の遺跡らしいものは何もない。

10:40 一町田中交差点
甲州街道では珍しい常夜燈を見る
10:45

日川(ひかわ)
ここから笛吹市に入る。

<道標> <雪を被った南アルプスの山々>
11:15

笛吹橋
ここより石和町に入る。
現代も笛吹川は改修工事が繰り返されている。ずっと。

<笛吹川>
11:25 笛吹権三郎之像
笛吹の像と土台の石の古さが不釣合いだ。
<笛吹権三郎之像>
「今から600年ほど昔、芹沢の里(現在の三富村上釜口)に権三郎という若者が住んでいた。・・・・以下省略」
11:30 長昌院(川中島)
11:40

テアトル石和。
昔懐かしい独立家屋の映画館。

子供の頃に盛んに見た、懐かしいタイプの映画館だ!今時、こんな独立した映画館の建物が残っていた。直ぐ横には大きな駐車場がある。もちろん今でも映画館として営業している。
11:50 遠妙寺
謡曲「鵜飼」で知られている寺・・・・だそうだ。
11:55 石和本陣跡
現在は駐車場の片隅にその位置を示す石碑(下の写真)が立っている。邪魔者扱いされ身をちじめている。
      <石和本陣跡>

本陣1軒 脇本陣2軒 旅籠18軒 総家数166軒
人口1143人(男578人 女565人)宿場の長さ6町
国中東部の幕府領を支配する代官所が置かれ、郷学由学館もあった。また、この宿は鎌倉街道の起点である交通の要衝でもあった。笛吹き川には「川田河岸」が設けられ、駿州岩渕までの舟便があり、身延詣でにも利用された。」

12:00

足湯

10分ほど足湯につかる。無料。
疲れが取れた、ような気がする。出来れば全身をこの「足湯」に入れたい。

12:10 石和八幡
<石和八幡>
12:15 甲府市に入る。
12:25 昼食
足裏に大きなマメが出来た。石和で足湯に入り、濡れたまま靴を履いたせいらしい。
13:05 歩行再開
13:20

横根跨線橋南交差点
ひたすら前進するのみ、ファイトーッ!

13:35

山崎三差路
酒折ボランティア庭園

<山崎刑場跡(酒折ボランティア庭園)>
いずこの処刑場跡もそうだが、薄気味悪さを感じる。
 「夏草道中記」(昭和11年)によれば「300年前頃から設けられたここの断首場には斬り捨て場2ヵ所、首洗い井戸4ヵ所、骨捨て井戸1ヵ所があったと伝えられ、明治5年大小切事件の処罰を最後に、今日跡形もなく、供養塔のみが鬼気を呼んでいる」
13:45 山梨学院大学
13:55 善光寺入口
14:25

NTT甲府支店西交差点
市内に入り、旧甲州街道は「かんね状態」になる。

14:30 相生交差点(甲府市内の中心街)
今日の目標はここまでだったが時間が早くもう少し前進することにする。ファイトーッ!
<相生交差点の近く>
14:50

荒川・荒川橋
富士山が突然大きく見え始める。

         <天尊躰寺>
甲府五山の一つ。武田信虎が古府中に創建し,文禄年間(1592〜1596)に現在地へ移った。・・・・以下省略」
15:00 上石田のサイカチ
15:20

芸術の森公園
少し寒くなってきた。

15:30

中央自動車学校の交差点
ここから甲斐市に入る。前方右手に八ヶ岳が見え始める。

15:40 竜王駅入口交差点
15:45 竜王新町交差点
16:20 下今井(寺町)
         <上石田のサイカチ>
    甲府市指定有形文化財・天然記念物
<寺町通り>
<泣石>
下今井宇鳴石のJR中央線と県道との間にあり、現在地より約100m南東にあった。高さ約3・8m、幅約2・7mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が絶たれてしまった。

 天正10年(1582)3月2日、高遠城が落城すると武田勝頼一行は完成したばかりの新府・韮崎城に自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ちのびて行った。その途中、勝頼夫人はこの地で燃える新府・韮崎城を振り返り涙を流したという言い伝えがある。 甲斐市教育委員会
16:40 塩崎駅入口交差点
太陽は南アルプスに隠れ、暗くなり始める。とたんに寒くなる。
今日の前進はここまでとする。
この付近には宿は無く、ここから帰ることとする。
16:45 JR塩崎駅発
<JR中央線「塩崎駅」(無人)から望む富士山、デカイ!>
塩崎駅付近から見る富士山
静岡方面から望む富士山よりも一層大きく見える。
20:00 京王線・つつじヶ丘駅
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