第4日目

神奈川県大磯町鴫立沢交差点→滄浪閣→国府新宿→六所神社→JR二宮駅→川匂神社→押切橋→浅間神社→常念寺→酒匂川→小田原城→居神神社→風祭→西湘バイパス→箱根境→三枚橋→箱根湯本駅(→自宅 )
月 日; 2008年7月1日(火曜日) 天気;晴れ
区 間; 大磯鴫立沢交差点=箱根湯本 約30km
時 間; 6時間25分
費 用; 4,580円
<内訳>交通費;自宅ー大磯駅780円、箱根湯本ー自宅1,300円、朝食440円、マックセット610円
      飲み物1,000円、銭湯 450円
歩 数; 不明(歩数計不携帯)

08:15 大磯・鴫立沢(しぎたちさわ)交差点
今朝は自宅を6時少し過ぎに出る。
この付近は道路の真ん中に松並木が残っている。 上方見附跡
【東海道の松並木】
江戸時代、幕府は東海道を整備して松並木、一里塚、宿場を設け交通の便をよくしたので、参勤交代や行商お伊勢参りなどに広く利用されました。
松並木は、今から約400年前に諸街道の改修の時に植えられたもので、幕府や領主により保護され約150年前にここからは厳しい管理のもとに、立ち枯れしたものは村々ごとに植え継がれ大切に育てられてきたものです。
この松並木は、このような歴史を持った貴重な文化遺産です。
大磯
    歌川廣重;東海道五拾三次之内 大磯 

 かすかに陽の光を思わせる黄ばんだ空、海面の濃い藍、画面を引き締める墨のぼかしなど、配色が印象的です。歌舞伎でも有名な曽我十郎が、仇討ちの果てに命を落としたのが陰暦5月28日。その愛人であった大磯の遊女・虎御前が流した涙が雨となったという故事から、梅雨時のしとしと雨を「虎ヶ雨」といいます。

08:25 滄浪閣
伊藤博文公記念碑
大磯付近の松並木が続く。滄浪閣はこの日は閉鎖されていた。
08:35 八阪神社
京都・八阪神社を想定しながら造営された神社だそうだが、京都のそれとは大違い、どう見ても寂れている。
京都の八阪神社が泣いている?
08:45 血洗川 。国道から200M程海へ近づいたところ。
34号線西湘バイパスの直ぐ脇に吉田茂(1878−1967)の銅像がある。右手にステッキ、左手はもちろん、おなじみの葉巻である。国会で「バカヤロー!」って怒鳴った元総理である。麻生現総理大臣の祖父でもある。
09:05 不動川
大磯ロングビーチ入口
09:20 国府新宿
09:25 六所神社入り口。たいそう立派な鳥居がそびえている。本殿までは遠い。鳥居から礼拝だけですませる。
09:35 二宮町に入る
09:40 塩海橋。「塩海」のなごり
09:50 JR二宮駅
10:10 川匂神社
10:15 押切橋。海が近い。川を渡ると小田原市である。
10:25 浅間神社入り口。浅間神社という名前の神社はやたら多い。
この付近から海が近づく。このまま海に飛び込みたい。
10:35 車坂
10:45 常念寺
奥府津駅前
11:05 森戸川
11:15 小八幡の一里塚。江戸から19番目の一里塚。
【小八幡の一里塚】
慶長9年(1604)江戸幕府将軍徳川家康は、息子秀忠に命じて、東海道、東山道、北陸道に、江戸日本橋を起点として一里(36町、約4キロ)毎に塚を造らせた。塚は男塚、女塚と、街道の左右に対で置かれ、広さは通常5間(約9メートル)四方であった。塚には榎を植え、旅人の1里ごとの目印とするとともに、夏季における木陰の休憩場所とした。
小八幡の一里塚について、天保年中の相模国風土記稿に「東海道中の東にあり、左右相対せり、高二間、舗六七間、塚上に松樹あり上は小田原宿入口一里塚、下は淘綾郡山西村小名梅沢の一里塚に続けり」とある。
11:35 大見寺
酒匂川連歌橋近くのマクドナルドの店に入る。
朝は藤沢駅構内の「駅ソバ」だった。マックの「ダブルチーズバーガーとコーヒーのセット」が実にうまい。
ここで半ズボンに履き替える。外は太陽がきつくなってきた。2日間連続の歩きは少々きびしい。
大磯を過ぎると、特に見るべきものもなくただ歩くだけの「灼熱街道」が続く。
12:20 酒匂川
「レッド・ロブスター」の大きな看板がある。美味いだろうなぁ、あー食べたい!
12:30 常剱寺入口
12:40 山王橋。ここから小田原市内に入る。
12:45 小田原宿
 
小田原
    歌川廣重;東海道五拾三次之内 小田原 

 酒匂川は、富士山の東側から小田原を経て相模湾に注ぎます。対岸には北条氏の居城であった三層四階の小田原城が見え、遠くには箱根連山が描かれています。川を渡る旅人の苦労も大自然のなかに埋没してしまうほど雄大な風景が広がっています。

【江戸口見附並び一里塚】
見附とは城の桝形門に設けられた見張番所であって、武器を用意し昼夜番士が詰めて警戒にあたる場所であるが、本城より外濠城門を示す場合が多い。
小田原城は、天正18年(1590)の豊臣秀吉との小田原合戦の際には、町ぐるみ堀や土塁で囲まれていたが、江戸初期にこの構造を壊して東海道を通す際に、枡形が作られた。
小田原城から江戸に向かう出口であったため、江戸口見附と名付けられた。
ここは江戸から20番目の一里塚があった。
13:10 小田原城入り口
小田原城にそっくり「ういろう」を売る店がある。
知らない人はこの店が小田原城と見間違いそうだ。
小田原宿跡
13:25 居神神社、山王神社。何の御利益があるか判らんが、取りあえず礼拝しておく。
居神神社 山王神社
13:40 上板橋
小田急線が進行右手、前方に箱根の山が近い
13:50 風祭。小田原・鈴広「かまぼこ」の店と箱根ビールの店が軒を並べている。
小田急線のガード下
石仏や道祖神が沢山ある
ガソリンの値段が急騰中
13:55 西湘バイパスと小田原厚木道路のインターチェンジ
14:10 箱根境
14:30 三枚橋
「箱根湯本駅」までは約300メートル、ここが箱根路への入口。山道が始まる。
三枚橋交差点。
ここで宮下方面と畑宿方面とに別れる。
橋を渡って左へ行くと旧東海道の最初の難所「箱根越え」が始まる。
14:40 箱根湯本駅(小田急線)。今日の歩きはここまでとする。
14:48 ロマンスカーの乗車券が購入できた。疲れた身体に電車の揺れがとても心地よい。まるでマッサージのようだ。
自宅近くの銭湯に入る・・・・生き返る。
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