第5日目

神奈川県足柄下郡・三枚橋→箱根峠→山中城跡→三島→山中城跡→対面石→沼津(泊)
月 日; 2008年7月20日(日曜日) 天気;曇り
区 間; 箱根湯本・三枚橋=沼津 約30km
時 間; 10時間
費 用; 10,440円
<内訳>交通費;自宅=箱根湯本(含む特急料金)1,700円、 朝食470円(コンビニのパン2個と飲むヨーグルト)、夕食970円(ラーメン餃子セット)、飲み物1,000円、宿泊費;6,300円ホテル「三交イン沼津駅前」(含む朝食)
歩 数; 46,181歩

08:55 箱根湯本・三枚橋
東海道歩きのうち、最も困難な区間の一つ「箱根越え」が始まる。ファイトーッ!
猛烈に蒸し暑い。駅のトイレで短パンに履き替える。
早川。
鮎釣りの人が出ている。
三枚橋。
連休の為、ドライブの車の往来が激しい。
09:05 白山神社

09:10

正眼寺(*)
早雲寺
【正眼寺】
この寺は曽我兄弟の伝説を伝える古刹です。この寺の創建は明らかではありませんが、鎌倉時代、箱根地方に広がった地蔵信仰の中から生まれた寺であることは確かなようです。寺には地蔵信仰にゆかりのある寺宝がいくつか残されています。ここには曾我兄弟の遺跡がある。
そういえば、曾我兄弟は仇討ち以外に何をした人?
正眼禅寺(*) 曽我兄弟遺跡
09:45 天聖院。寺院は金ぴか、猛烈に暑い。
【須雲川】(*)
天聖院
【須雲川】
この周辺の集落を須雲川といいます。むかしは、川端とも呼ばれていました。この場所に集落が出来たのは、江戸の初め寛永のころです。天下の街道となった箱根道を往来する人々のため、また、道を維持管理するために、一定の間隔をおいて集落をつくる必要があったのです。
10:00 勝五郎、初花の墓
箱根霊験「いざりの仇討ち」で有名だ、そうだ・・・・。
勝五郎、初花の墓
東海道には高輪の泉岳寺を始め、やたら仇討ちの舞台が揃っている。
10:30 大澤坂
ここから旧道(畳石)(*)
箱根の石畳
「これより江戸時代の石畳」
大澤坂
【箱根旧街道】
江戸幕府は延宝8年(1680)箱根道を石畳道に改修しました。それ以前のこの道は、雨や雪のあとは大変な悪路になり、旅人はひざまで没する泥道を歩かねばならないため、竹を敷いていましたが、毎年、竹を調達するのに大変な労力と費用がかかっていました。石畳は、小石と石とを突き固めた地面の上に石と石とを組み合わせて並べており、さらに石畳の横に縦の排水路を持っている。
並木が植わっていた土手も人工的に造られた。・・・・・・・・・平成2年11月   箱根町教育委員会
10:35 畑宿・本陣跡
 
箱根

川廣重;東海道五拾三次之内 箱根

東海道最大の難所の登りも終わりに近づく頃、岩肌を露出した険しい二子山が間近に迫り、遠く芦ノ湖が見え始め、白い富士山がかすかに望めます。列をなして山間を歩む大名行列、カラフルな彩色でそそり立つ山々の描写は、立体感を助長し傑作に仕上がっています。まもなく湖面の脇にある厳重な関所を通らなければなりません。

【箱根旧街道・畑宿一里塚】
石畳の両側に残る畑宿の一里塚は江戸日本橋から23里目にあたり、東海道中唯一、その形態を留めるものです。
山の斜面にあるこの塚は、周囲を切り土、盛り土と石貼で平坦面を作り、直径が30尺(約9m)の円形に石積を築き、瓦礫を積み上げ、表層に土を盛って頂上に植樹したことが判明している。
・・・・・・箱根町教育委員会
ここから本格的な石畳の東海道歩きが始まる。ファイトーッ!
【女転し坂】
箱根道の難所の一つであり、急な坂道が長く、馬に乗った婦人がこの付近で落馬し死んでしまったことから「女転し坂」といわれるようになった。
11:25 猿滑坂
石畳の構造が見られる 畑宿の一里塚跡
林間学校らしい女学生の
集団が畳石を歩いていた
【旧東海道】
この地点は江戸時代の東海道で鎌倉時代の東海道とが交わるところです。
鎌倉時代の東海道は別名「湯坂道」と呼ばれて平安時代、富士山の爆発によりそれまで利用されていた足柄道の代わりに利用されるようになったもので、ここから箱根峠、三島方面と畑宿、湯本、小田原方面へと続いています。
江戸時代の東海道は有名な東海道53次の一部で当時の人々は皆この道を通って箱根を超えていました。・・・・・・・・・・神奈川県
12:25 元箱根港(成川美術館前)
第1の難関は終わった。国道は車で渋滞。
12:35 箱根関所跡(*)
箱根関所跡
【箱根関所(国指定史跡)】
元和5年(1619)に設置され江戸防衛のために、全国に設置した53箇所の関所のうち、東海道の新居(静岡県)、中山道の碓井(群馬県)、木曽福島(長野県)と並んで規模も大きく、特に重要な関所と考えられていたようです。
この関所の配置は、要害の地形を利用して、山の中腹から湖の中まで柵を厳重に区画し、江戸口・京口両御門を構え、大番所と足軽番所が向き合う形となっています。
この箱根関所では、江戸方面からの「出女」に対する激しい取調を行っていた。
設置から250年後の明治2年(1869)、新政府により関所制度が廃止されました。
平成19年(2007)春、復元整備を終え、箱根の関所は往時の姿によみがえりました。
                             ・・・・・・・・・・箱根町教育委員会
13:20 箱根峠
【鋏石坂】
箱根峠にかかる坂です。
峠は当時の浮世絵をみますと伊豆の国を分ける標柱と、ゴロゴロした石、それに一面のカヤしか描かれていません。まことに荒涼たる峠でした。
三島宿までは、ここからさらに4里(16キロ)近く、こわめし坂、自転坂などの難所が続きます。
ここから静岡県に入る。
自転車で京都へ向かう、ほぼ同年代の人と東海道について話す。
14:00 茨ケ平入口
茨ケ平入口 これも「旧東海道」
【茨ケ平】
東海道のうち最大の難所は、小田原宿と三島宿を結ぶ、標高845mの箱根峠を越える箱根八里(約32km)の区間であり、箱根旧街道と呼ばれる。
ローム層の土で大変滑りやすい道なので、最初は箱根竹の束を敷いたが延宝8年(1680)に、幅2間(約3・6m)の石畳に改修された。
このあたりは、茨が生い茂っているので付近の草原を茨ケ平という。
                                 ・・・・・・・・・・三島市教育委員会
ここから石畳の下りになる。滑りやすく歩きにくい。
入口がとても分かりにくい。笹藪に覆われ、男でも一人では少々気味が悪い雰囲気がある。
この藪のトンネルの中は風もなく、とても蒸し暑い。
14:15 兜石(*)
徳川有徳公道遺蹟碑。現代の道路から外れた杉林の中にある。最近、人が訪れたらしい形跡がない。
徳川有徳公道遺跡碑 兜石
【兜石】
この石は兜を伏せたような形をしていることから「かぶと石」といわれている。また別の説として傍らの碑銘によれば豊臣秀吉が小田原城征伐のとき休息した際、兜をこの石の上に置いたことからかぶと石とよばれるようになったともいわれている。
この石は兜石坂にあったものを昭和初め国道1号線の拡張工事のときこの地に移したもである。
                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三島市教育委員会
14:25 念仏石。説明書をよく見ないと何がなんだか分からない。
14:50 山中城跡(*)
山中新田跡

と山中城跡

【国指定史跡山中城跡】  
小田原に本城をおいた北条氏が1560年代に創築した。
天正18年3月、豊臣軍に包囲され、約17倍の人数にわずか半日で落城したと伝えられる悲劇の山城である。
山城の宿命である飲料水の確保に意を注いだことや、石を使わない山城の最後の姿をとどめている点等、学術的にも貴重な資料を提供している。
                      ・・・・・・・・・・・・静岡県教育委員会、三島市教育委員会
ここからは人里が始まる。
16:35 錦田一里塚(*)
部落の真ん中、ものすごい急勾配の道路がある。
【錦田一里塚】 
錦田一里塚は江戸日本橋より始まる東海道の28里(約112km)の地点にあり、松並木の間に道路をはさんで向かい合って一対のこっており、旧態を保っていて貴重であるので国指定史跡となっている。
・・・・・・・・・三島市教育委員会
道路より2m程盛り土されている
16:50 愛宕坂
17:10 三嶋大社
国道に面した鳥居から本殿まで100m以上もあり、そこまで行ってお参りする元気が出ない。
鳥居付近から、旅の無事と完遂を祈願する。
17:18 三島駅交差点通過
 
三島

    歌川廣重;東海道五拾三次之内 三島

 朝霧の中、三島神社の前を行く旅人の姿を見事に表現しています。駕籠(かご)に乗る人物、馬に乗る人物だけを線で描き、鳥居・人家・遠くの旅人などは線を用いず、ぼかしの濃淡だけで奥行きを出しています。板の面を巧みに生かした技法で、大変美しい仕上がりになっています。

17:25 三島広小路駅
17:35 宝池寺(*)
【宝地寺一里塚】(清水町指定文化財) 
向側にある玉井寺一里塚と対を成し、一般的に「伏見一里塚」といわれ、江戸日本橋から29番目にあたります。
長い年月、風にさらされ原型が損なわれたので、昭和60年多くの篤志により原寸どおり復元されました。
また、宝地寺側には立場があり、妊婦が駕籠などを停めて休憩できる場であったと伝えられています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・清水町教育委員会

2−3m高く盛り土されている
ここで夕食を兼ねてラーメンと餃子を食う。
若い店員に「旧東海道は?」と聞いてもまるで判らない。
18:20 八幡神社
「対面石」、この付近で猛烈な疲労感が急に襲ってくる。
18:25 黄瀬川
18:30 潮音寺
19:00 JR沼津駅
駅前にあるビジネスホテル「三交イン沼津駅前」にチェックイン。疲れた。
日本橋から今日までの内、今日の行程が最も苦しかった。足が痛い。爪の一部から又も血が出ている。
風呂に入り、明日の為に早速マメの治療をする。昔の旅人はもっと苦労したことだろう。
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