第15日目
吉田宿〜御油〜赤坂宿

月 日; 2009年1月28日(水)、天気;晴
区 間; 吉田宿=赤坂宿、約11.9km(→自宅)
時 間; 4時間55分
費 円; 費用;合計17,325円
宿泊費6,615円(豊鉄ターミナルホテル)、交通費;9,610円(豊橋路面電車150円、名電赤坂駅〜豊橋駅340円、豊橋〜浜松駅650円、浜松駅〜東京駅8,080円、新宿〜自宅390円)
食料費1,100円(飲料水450円、菓子パン2個240円、浜松駅ソバ410円)
歩 数; 27,192歩

08:00 札木(旧東海道=今日の出発点)
駅前のホテルからここまでは市内路面電車(=下の写真)に乗る。
雲はあるが、まずまずの天気。しかし寒い。
最近では珍しい路面電車 吉田宿本陣跡(*)
今は鰻屋さんの店がある。
上伝馬町
08:15

吉田宿本陣跡(*)
電車の札木停留所から直ぐの所に本陣跡がある。「丸よ」というなんだか格式があるようなうなぎ屋である。

【本陣跡】
ここは江戸時代、清須屋東隣に江戸屋の2軒の本陣がありました。本陣とは各宿駅に置かれ、街道を往来する大名・幕府役人・宮家・公卿など身分の高かった人達が宿泊した所です。享和2年(1802)の書上によると東海道吉田宿には、本陣2軒・脇本陣1軒・旅篭65軒があり、ここ札木町あたりは宿の中心部として最もにぎわったところでした。
08:35

松尾芭蕉
「吉田の宿の旅・・・・」

芭蕉句碑
「寒けれど
    二人旅寝ぞ
      たのもしき」
08:37 神明社
08:43

豊川
高札場、船町、等

神明社 豊川の踏切 豊川
08:55 聖眼寺
09:15 瓜郷遺跡(*)
東海道から80メートル脇に入った場所、きっと江戸時代の旅人もこれら古代の遺跡に興味を持ったに違いない、かな?
瓜郷遺跡
【瓜郷遺跡】
弥生時代中期から古墳時代前期(2000年前〜1700年前)にかけての集落(ムラ)の跡です。
昭和22年11月から昭和27年10月までの間、5回にわたり発掘調査が実施され、土器・石器・骨角器・木製の農具などが出土しました。
これらの出土品は東三河地方の弥生文化を知るうえで重要な手がかりとなっています。
ここでは農耕(主に稲作)のほかに、漁労や狩猟などが行われていたことがわかりました。
瓜郷遺跡は唐古遺跡(奈良県)・登呂遺跡(静岡県)などとともに弥生時代の低地にある遺跡の一つとして貴重なものです。
なお出土品は豊橋市美術博物館に収蔵されています。
                              ・・・・・・・・・・・・・・・豊橋市教育委員会
09:35

たかはし(豊川)
この橋の両側に歩道が全くない。

この橋の両側には歩道が全くない。ヒドーイ! 「子だが橋」(*) レモンの樹、何だか東海道には不似合いである。
【子だが橋】
子断(こだん)が橋ともいわれ、明治時代には「小田橋」と書いてあった。
およそ一千年前兎足神社には、人身御供があり、春の大祭の初日にこの街道を最初に通る若い女性を生贄にする習慣があったと伝えられている。
ある年のこと、贄狩りに奉仕する平井村の人の前を若い女性が故郷の祭礼と父母に遭う楽しさを胸に秘めて、暁の街道を早足に通りかかり、橋の上まで来た。見ればわが子である。
「ああ、いかにすべきか」と苦しんだが、神の威光の尊さに「子だが止む得ん」と、遂に生贄にして神に奉った。
それからのこの橋のことを、子だが橋と呼ぶようになったということである。
現在、兎足神社では、12羽の雀を贄に替えておこなわれている。
                                ・・・・・・・・・・・・・小坂井町教育委員会
10:00 明光寺
10:10

伊奈村立場茶屋・加藤家跡(俗称・茶屋本陣跡)

10:25 豊川市に入る。
バンザイ!ついに愛知県に足を踏み入れた。
11:00

名鉄名古屋線 白鳥跨線橋東
初めて「名古屋」の文字を見る。

11:17 国府秋葉山常夜燈
11:30 大社神社
11:35

御油一里塚
秋葉山三尺坊大権現
ロウバイの花が満開である。

御油・一里塚跡 秋葉山三尺坊常夜燈 ロウバイが満開
11:50

問屋場跡
本陣跡、現在はイチビキ株式会社の物流センターとなり、大型貨物のトラックが止まっている。

「いがや」みそ・しょうゆ店 御油宿「ごくや」 御油宿・本陣跡
11:55

東林寺
御油観音、ここで菓子パン2個だけの昼食とする。

12:05

御油の松並木(*)(天然記念物)

赤坂宿の古い民家
古い民家が軒を連ねている。 御油の松並木*
【御油の松並木】
御油宿は、慶長6年(1601)徳川家康によって、東海道に宿場制が定められ、東海道五十三次の第35番目の宿場として繁栄しました。
ここから東の、かって上五井、中上町、仲町、横町、茶屋町とよばれたこの通り沿いには、今でも宿場町の面影を残す旧家が見られます。
また、この御油宿と隣の赤坂宿との間には、慶長9年(1604)に整備された御油の松並木があります。
昭和19年に国の天然記念物に指定され、「日本の名松百選」にも選ばれています。
                           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・豊川市教育委員会
12:20 赤坂宿見附跡
12:25

関川神社
大きな楠が植わっている。

大きな楠が両側に延びている。
12:30 本陣跡(*)
赤坂宿本陣跡* 赤坂宿の看板 古い酒屋さん
【本陣跡】
本陣とは、江戸時代の宿場で大名や幕府役人等が宿泊した公認の宿舎で、御油宿には2軒の本陣があった。この場所は、鈴木半左衛門が営んでいた本陣跡です。
                              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・豊川市教育委員会
12:40 浄泉寺
赤坂・浄泉寺 浄泉寺の石仏群
12:55

名古屋鉄道・名古屋本線「赤坂」駅
体力的にはまだ歩けるが、東京まで帰る時間を考えるとこの時間が限界。
周囲はほとんど畑。国道1号線と東名高速道路の間の典型的な田舎駅。とても遠くへ来た。

13:12

赤坂駅発
いつもそうだが、電車に乗ると車内の温かさと振動がとても身体に気持ちよい。

13:50

JR豊橋駅
東海道線上り浜松駅行きに乗り換える。

14:46

JR浜松駅発新幹線「こだま」
早い、人が歩くスピードと比較すると確かに早い、早すぎる。

16:45

東京駅
未だ明るいうちに東京へ戻ることができた。

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