第21日目
水口→石部→草津

月 日; 2009年5月26日(火)、天気;晴
区 間; 水口→石部→草津、約25.4km(→自宅)
時 間; 5時間35分
費 円; 費用;合計13,154円
ドリンク350円、昼食代724円、交通費(草津ー東京・新幹線を含む)12,080円、
歩 数; 31、800歩

07:34 あめや旅館発
玄関前で記念撮影。旅人にはとても親切な旅館。今回の「東海道一人旅」では初めて「旅館」に泊まった。
<水口「あめや旅館」(=左)と北町の鳥居(=右)>
07:45 水口宿
水口中部コミュニティセンター発
今日も快晴。少し肌寒い。
07:50

北町鳥居
飾り付けを見ていると、何となくバリ島の「バリヒンズー教」の飾り付けに似ている。

08:00

水口石
何だかよく判らんが、取りあえず「サイナラ」と挨拶しておく。

【水口石】
東海道に面した小坂町の曲がり角に伝えられる大石。「力石」とも呼ばれる。江戸時代から知られた大石と見えて、浮世絵師国芳が錦絵の題に採っている。
この辺りは水口藩の藩庁にもほど近く、長大な百間御長屋や、小坂町御門など城下町のたたずまいが濃かった。
08:03

真徳寺表門

真徳寺 表門
この門は、もと水口城内に所在した家臣屋敷の長屋門を移したものである。
石高80〜60石程度の中士の格式をあらわすもので、一部に改造がみられるものの、旧城下に残る数少ない遺構である。
08:05 一里塚跡
【一里塚跡】
一里塚は街道の両側に1里(約4km)ごとに築かれたもので、東海道では慶長9年(1604)に江戸日本橋を起点として整備された。水口町域では今郷・林口・泉の3箇所に設けられている。
塚上には榎木などを植えて厳重に管理し、旅人のよき目印ともなったが、明治維新後いずれも撤去された。
林口の一里塚は、これよりやや南方にあったが水口城の郭内の整備にともない、東海道が北側に付け替えられ、五十鈴神社の境内東端に移った。
本塚は、往時を偲んで修景整備されたものです。
08:10

柏木神社

昔は随分と賑わったに違いないが・・・・
今は閑散としている。
08:15 北脇縄手と松並木
<北脇の松並木> <道ばたの地蔵尊>
ここでも、ふとバリ島の風景を思い出した。
【北脇縄手と松並木】
 東海道が一直線にのびるこの辺りは、江戸時代「北脇縄手」と呼ばれた。縄手(畷)とは田の中の道のことで、東海道の整備にともない曲がりくねっていた旧伊勢大路を廃し、見通しの良い道路としたことにちなむと考えられる。
 江戸時代、東海道の両側は土手になり松並木があった。街道は近隣の村々に掃除場所が割り当てられ、美しさが保たれていた。旅人は松の木陰に涼を取り、旅の疲れを休めたといわれている。
08:45

国宝
延命地蔵尊 泉福寺

08:50
泉川
ここで道はY字に分かれる。左の道に入る。
舞込橋が架かる。
<街道筋には夏の花が盛りだった>
08:55

一里塚
舞込橋から100m程の距離。土葬されたらしい墓が何基もある。
付近には街灯も見当たらず、夜は相当に気味悪いに違いない。

<一里塚> <一里塚の直ぐ隣にあるお墓>
どうやら土葬されている。夜は・・・・近寄りたくない。
【東海道泉一里塚】
 東海道を整備した江戸幕府は江戸日本橋を起点として街道の両側に一里(約4キロ)塚を築いたが、本町域では泉・林口・今在家(今郷)の三箇所に一里塚があった。
 塚上には榎などを植えて旅人の目印とし、道中奉行の管轄下に維持管理がなされた。
 当時のものは現在地よりやや野洲川よりにあったが、これはそのモニュメントとして整備されたものである。
                     水口町教育委員会 
09:00

横田渡
巨大な常夜燈がある。
一国に出る。

<横田の渡> <横田川>
緩やかな流れ、特に変わったことのない無い川
【東海道横田渡】
 鈴鹿山脈に源を発する野洲川は、このあたりで「横田川」と呼ばれてきました。
 伊勢参宮や東国へ向かう旅人は、この川を渡らねばならず、室町時代の史料にも「横田河橋」の名が見えています。
 江戸時代に入り東海道が整備され、当所は東海道十三渡しのひとつとして重視され、軍事的な意味からも幕府の管轄下に置かれました。
 そのため、他の「渡」と同じく通年の架橋は許されず、地元泉村に「渡」の公役を命じ、賃銭を徴収してその維持にあたらせました。
 それによると、3月から9月の間は4艘の船による舟渡しとし、10月から翌2月までの間は、流路の部分に土橋を架けて通行させたようです。
 野洲川と支流の仙川が合流する当地は、水流も激しく、また流れの中には巨石も顔を見せ、道中の難所に数えられました。
 「渡」の景観は、往時のガイドブックで
ある名所図会や絵図にも多数描かれており、旅人で大いに賑わいました。
【東海道横田渡常夜燈】(水口町指定文化財)
 この巨大な石灯籠は、文政5年(1822)増加する旅人の目印となるよう、東側の川岸に地元や京都・大坂を中心とした万人講中の寄進によって建てられたものです。
 その高さは10・5メートル、燈火を灯す火袋は大人も通れるほどで、道中でも最大級のものとされています。
 建造には多額の費用を要したため、基壇には多く寄進者名が刻まれています。
 明治以降、水害によって一部形状を損ないましたが、その交通史上の価値は高く水口町の文化財に指定されています。
09:30 JR三雲駅
駅前に藤房郷墓所がある。
09:50

「三雲城」
東海道沿いからは1.7kmも奥にあり、見送りだけにする。

10:20 報恩寺
「亡き人は いのちをかけて 私たちに いのちの尊さを 教えてくださった」
10:35

天然記念物 うつくしまつ自生地
どうやら、大きく枝を膨らませた松らしい。街道からは0.9km離れているため、ここも心残りだが門前を通過する。

10:55 石部宿入口
暑くなってきた。街道筋には滅多に人を見ない。1キロほど右にバイパスが通っている。
可愛い女の子と子犬がローラースルーに一緒に乗って遊んでいた。「写真を撮りたい」と頼むと喜んで応じてくれた。
12:30 木造地蔵菩薩立像 
福正寺
暑く、腹も空いてきた。
重要文化財 【木造地蔵菩薩立像】
明治33年4月7日指定  福正寺(法界寺)
法界寺の本尊である当像は、僧形の丸い顔で、半眼・閉口し、納衣(のうえ)の端を右肩に懸け、編衫(へんさん)と裳(も)を着けて直立する。現状では右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)を執る。像高96・5cmヒノキの一木(いちぼく)造。平安時代(10世紀)ころの作とみられる。ここ六地蔵の地名となった六駆(く)の地蔵像の一駆であると伝わる。
                         平成16年3月 栗東市教育委員会
12:35 大角氏庭園
12:40

一里塚(六地蔵尊)

13:05 稲荷神社
13:30 善性寺
【シーボルトと善性寺】
善性寺第五世僧、恵教のとき、文政9年4月25日、オランダの医師で博物学者シーボルトが江戸からの帰途、善性寺を訪ねている。その時の見聞が「シーボルト江戸参府紀行」に次のように記されてある。
「かねてより植物学者として知っていた川辺村善性寺の僧、恵教のもとを訪ね、スイレン、ウド、モクタチバナ、カエデ等の珍しい植物を見物せり」云々とある。 治田学区心をつなぐふるさと創生事業実行委員会
13:37 目川村一里塚
【一里塚】

東海道には1里ごとに距程標として一里塚が設けられた。一里塚は道の両側に5間四方の塚の上に椋や松などの木立があった。
目川村の一里塚は、現在の鎌田屋敷の東隅と、その向かいの旧北野屋敷の西隅にあり、椋の大木があったといわれ、当時の一里塚は、西は草津市路地に、東は六地蔵(梅の木)にあったといわれている。

                        治田学区心をつなぐふるさと創生事業実行委員会

家の玄関前に大きな「明治天皇聖跡」の脊柱が立っている。
少々邪魔っけな存在かな?
13:55

史蹟老牛馬養正所跡

14:00

草津市に入る

14:12

縄生の一里塚

14:15 東海道・中山道追分
覚善寺
市指定文化財

【道標】1基 右 東海道いせみち
        
左 中仙道美のじ 

 ここはかっての日本五街道の最幹線で東海道と中山道との分岐点である。トンネルの出来るまではこの上の川を越せば中山道へ、右へ曲がれば東海道伊勢路へ行けた。しかしこの地は草津宿のほぼ中心地でこの付近は追分とも言われ、高札場もあって旅人にとっては大切な目安でもあった。多くの旅人が道に迷わぬよう、また旅の安全を祈って文化13年(1816)江戸大坂をはじめ全国の問屋筋の人々の寄進によって建立されたもので、高さは1丈4尺7寸(4・45メートル)で火袋以上は鋼製の立派な大燈籠であり、火袋以上はたびたびの風害によって取り替えられたが、宿場の名残の少ない中にあって、常夜燈だけは今もかっての草津宿の名残をとどめている。

      昭和48年10月15日指定 草津市教育委員会

14:20

草津本陣
5月20ー26日までは新型インフルエンザ警戒の為、休館の張り紙がある。
少し早い時間だが、ここで今日の行程は終わった。京都までは後、1日の行程を残すのみとなった。
今日もよく頑張った。足が痛い。とても痛い。
早速、草津商店街の中程にある「餃子の王将」で餃子セットを食う。美味い、実に美味い。世の中にこんな美味いものがあったのか。724円

    <草津宿追分>=上の写真参照

 ここで直進すると中山道(左)、右折すると東海道である。

     【草津本陣跡】

新型インフルエンザ感染に伴う臨時休館のお知らせ

滋賀県内において新型インフルエンザの感染が確認されましたので、感染拡大をできる限り抑制するため、下記の期間下記の期間休館いたします。

休館期間5月20日(木)〜5月26日

草津市・史跡草津宿本陣

15:20

JR草津駅発
電車に乗ると身体に伝わる振動が実に快適だ。

14:55 米原駅発
ここで新幹線「ひかり号」に乗り換える。
新幹線は早い、早すぎる。1日かけて歩いた距離をほんの数分で通過する。
足の指が悲鳴を上げている。
18:10

まだ明るいうちに東京へ、返り着くことができた。

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